『カモン カモン』(2021)はなんと心優しい映画でしょうか。
ホアキン・フェニックスが演じるのは、ラジオジャーナリストのジョニー。アメリカ各地の子供たちに人生や未来、地球や両親のことなどをインタビューし、若い世代が未来をどう思っているのかを浮き彫りにする番組を作っています。
忙しい毎日を送っていたある日、ジョニーは突然妹から、9歳の甥ジェシー(ウディ・ノーマン)の世話を押し付けられることに。トラブルをかかえている別居中の夫をサポートするので、息子を預かってほしいというのです。
絶え間なく質問をぶつけてくるジェシーとの交流を通し、ジョニーは自分自身を見つめ直すことになります。一方、優しいジョニーとのやりとりを通じて、ジェシー自身の孤独や不安、未来への恐怖を抱えながらも懸命に生きようとしているさまが明らかに。9歳の少年が抱える人生の重みに、見ているこちらまで心が押しつぶされるようでした。

なぜいつも救いようのない役が僕のところに来るのかわからない――。映画『カモン カモン』ホアキン・フェニックスの狂気と良心
アカデミー主演男優賞を受賞した映画『ジョーカー』のインパクトが強烈だったせいか、ホアキン・フェニックスには狂気のイメージがつきまとう。ところが現在公開中の最新作『カモン カモン』では、9歳の甥に振り回される心優しい中年男をチャーミングに演じ、イメージを180度覆した。本当のホアキン・フェニックスは一体どんな人物なのか――。ロサンゼルス在住の映画ライター中島由紀子さんが、その素顔に迫る。(トップ画像/『カモン カモン』© 2021 Be Funny When You Can LLC. All Rights Reserved.)
天才子役と天才俳優が共演した『カモン カモン』

『カモン カモン』
© 2021 Be Funny When You Can LLC. All Rights Reserved.
天才子役と呼ばれているウディ・ノーマンと天才俳優であるホアキン・フェニックスは、劇中で子供と大人の関係というより、人間同士の絆を見せてくれました。
これまで目が怪しげに光る、危険で摩訶不思議なキャラクターを演じるのが得意だと言われてきたホアキンですが、本作では眠っている甥のジェシーを見つめる優しさあふれるホアキンのまなざしが印象的でした。

『カモン カモン』
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彼には取材で何度も会っていますが、作品選びについてこう語っています。
「なんでいつも救いようのないキャラクターが僕のところにやって来るのかよくわからない。でも断ろうと思ったことはないし、ひねくれた変な役のほうが演じる上で何倍もおもしろいんだ。それに役を選ぶときに“これはキャリアに役に立つだろう”とか“こういう役はファンにアピールできるだろう”ということも一切考えたことがない。やる気を刺激される、チャレンジしがいのあるキャラクターしか選ばないんだ。撮影が行われる3か月も4か月もの間、毎朝ため息つきながら仕事に向かうなんて僕にはできないからね」
『カモン カモン』のジョニー役は、ホアキン本人の真髄に近いのではないでしょうか。まず彼自身、強い絆を持った家族の一員だというバックグラウンドがそう。いつも「妹が」、「甥が」、「姪が」、「母が」と家族を非常に大切にしているコメントを口にします。
「子供の頃にラテンアメリカを転々としていた僕たち(フェニックス兄妹)の生い立ちを、世間は不幸だと思っているかもしれない。もちろん金持ちではなかったけど、物質に恵まれてない環境を恥ずかしいと思ったことはない。年が近い4人の兄妹と一緒に過ごした思い出は楽しいものばかりなんだ」
突如ラッパーに転向するなど数々の奇行が話題に
2008年に俳優業をリタイアし、ラッパーに転向すると宣言したこともありました。結局はケイシー・アフレックが監督したモキュメンタリー『容疑者、ホアキン・フェニックス』(2010)の演出だったことが後にわかるのですが、当時は数々の奇行が話題になりました。
取材中も、ジョークなのか本気なのか判別がつかない発言や不思議な行動をするのを目にしたことがあります。突然立ち上がって窓辺のカーテンの陰に隠れて出てこなかったり、「この前も話したよね」とか、「まさかその質問本気じゃないよね」と、気に入らない質問に露骨にイラつきを見せたり。
「自分のことばかりしゃべるのって不自然すぎる。何十人もの前で一方的に質問される……。そんな偉そうな事態に値することをしてるのかな?と思うときがある」と語っていましたが、そういうときでさえ「ちゃんと答えなくごめん」とか「質問の答えになってないよね」など、フォローを入れるところが、彼の人のよさを表しているような気がしました。
カムバックを飾ったのはポール・トーマス・アンダーソン監督の『ザ・マスター』(2012)です。『グラディエイター』(2000)でアカデミー助演男優賞に、『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』(2005)で同主演男優賞にノミネートされた過去があるため、この作品での主演男優賞候補は、3回目のオスカー・ノミネーションとなりました。
当時、彼の演技に対し絶賛の声が上がっていたのですが、「役者の演技だけでストーリーテリングが成り立つものではなく、ビジョンを持った監督によって作品は作り上げられている。特にポール(・トーマス・アンダーソン)のようにはっきりしたビジョンを持って映画作りをする監督の場合、どの部分を切り取って見てもポールの作品とわかるほど。俳優の演技は監督のビジョンを画面に再現するだけ。だから僕はポールの猿回しの猿に過ぎないんだ」と語っていました。

©HFPA
2000年、『グラディエーター』の取材での中島さんとホアキン

©HFPA
2019年、『ジョーカー』の取材で
感動的だったアカデミー賞での受賞スピーチ
4回目のノミネーションをもたらした『ジョーカー』(2019)で、ついにアカデミー主演男優賞を受賞。
受賞のスピーチでは「僕はだらしない男だったし、共演者に残酷だったり自分本位に振る舞ったりすることが多々ありました。そんな僕を許してくれて、諦めないでサポートし続けてくれた人たちに感謝の気持ちでいっぱいです。間違いを犯した人を見捨てることなく、反省を受け入れ、やり直しのチャンスを与えてくれた。これは人間というものの最良の部分のような気がします。僕の兄が17歳のときにこんな詩を書きました。“Run to the rescue with. love, the peace will follow (愛を心に救いに向かえば、いつか安らぎ届くだろう)”と。ありがとうございます」と涙ながらに言っていた姿が印象的でした。

ロイター/アフロ

Everett Collection/アフロ
『スタンド・バイ・ミー』で一躍注目を集めたリヴァー・フェニックス
兄とは『スタンド・バイ・ミー』(1986)で知られるリヴァー・フェニックスのこと。1993年に薬物の過剰摂取が原因で死去。クラブで一緒にいたホアキンの目の前で倒れました。
その後約30年間、インタビューでホアキンがリヴァーという名前を発したのを聞いたことがありません。“兄”という言葉でさえもです。このスピーチを聞いて、彼のリヴァーへの長年の思いが昇華したように感じられました。
パートナーのルーニー・マーラとの間にできた男の子(2020年9月生まれ)に、リヴァーという名前をつけたそうです。イギリスの新聞「Sunday Times」では「僕はベジタリアンだけど、息子のリヴァーにはそれを押し付けることはしない」と語っていました。いい俳優である彼は、いい父親でもあるようです。
現在はリドリー・スコット監督作『Napoleon』の撮影の真っ最中。演じるのはもちろんナポレオン・ボナパルト役です。妻のジョセフィーヌを演じるのはドラマ『ザ・クラウン』のマーガレット王女役で知られるヴァネッサ・カービー。ナポレオンと妻との愛憎が描かれるそうで、ホアキンのさらなる名演が見られそうです。

©HFPA
パートナーのルーニー・マーラと

©Greg Williams Golden Globes
『カモン カモン』(2021) C’MON C’MON /上映時間:1時間48分/アメリカ
監督・脚本/マイク・ミルズ
出演/ホアキン・フェニックス、ウディ・ノーマン、ギャビー・ホフマン
公開中
https://happinet-phantom.com/cmoncmon/
ホアキン・フェニックス●Joaquin Phoenix 1974年10月28日、プエルトリコ生まれ。兄リヴァーの影響を受け、『スペースキャンプ』(1986)で映画デビューし演技の世界へ。主な出演作は『グラディエーター』(2000)、『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』(2005)、『ザ・マスター』(2012)、『her/世界でひとつの彼女』(2013)、『ジョーカー』(2019)など。
文/中島由紀子 構成/松山梢