自分で考える力を身につける

人は学ぶことを通じて、何ができるようになるのかというと、まず、自分で考える力を身につけられます。例えばSNSで見かけたメッセージに書いてあることを鵜吞みにする人がいます。そのような人は少し考えるとおかしいとわかることが書いてあっても、それが正しいかどうかを自分で考えて判断しようとしません。 
子どもの頃から学校で何かを教わっても、教師が話すことや教科書に書いてあることを無批判に受け入れてしまう人は多いように見えます。教えられたことを覚えるのが学びの中心になってしまうと、自分では考えられなくなってしまいます。 
しかし、教師が教えることが間違っていることはありますし、教科書に書いてあるからといって正しいわけではありません。また、ある文化で生まれ育った人は、その文化で自明で常識となっている考えに囚われてしまっているので、常識となっている考えが正しいかどうかというようなことは考えもしないのです。 

三木清は、次のようにいっています。「精神の習慣性を破るものが懐疑である」(『人生論ノート』)。 精神の習慣性とは、これはこういうものだと決めてかかったり、誰かがいっていることに安直に飛びついたりするようなことです。考えることが習慣化されると、本当なのかどうかを立ち止まって考えられなくなるのです。 

学ぶということは、教師が話したことや教科書や本に書かれていることを無批判に受け入れるということではありません。試験ではとにかく覚えなければならないと考える人は多いでしょう。しかし、覚えるのと学ぶのは別のことです。覚えることに注力すると、考えられなくなってしまうのです。 
間違ったことを覚えてしまうと、その知識は有害なものになってしまい、正しく考えられなくなります。そうならないために、学んでいることが本当なのか疑う必要があります。どんなことも鵜吞みにしないで疑えるようになるためには、自分で考えられるようにならなければなりません。 

自分で考えるといっても、自分「だけ」で考えることでは、自分で考えられるようにはなりません。人から話を聞いたり、本を読んだりすることで、自分の考えとは違う考えに触れなければ、独りよがりになってしまいます。 
本を読むにしても、自分の考えを持っていなければ、ある本を読むとそこに書かれていることが正しいと思い、また別の本を読むとそこに書かれていることが正しいと思ってしまうことになります。人の話を聞く時にも同じことが起こります。