複雑な国際情勢を読み解くための視点として、改めて注目される「地政学」。地政学とは国の地理的な条件をもとに、他国との関係性や国際社会での行動を考える知的伝統です。
奥山真司さん監修の『サクッとわかるビジネス教養 地政学』(新星出版社)は、日本と世界のリアルを解説した一冊として「中田敦彦のYouTube大学」で取り上げられるなど、大きな話題を呼び、20万部を突破するベストセラーとなりました。

国際社会の動きを取り込んだポリティカル・アクション『アクティベイター』の著者である冲方丁さんが、奥山真司さんにインタビューしました。

取材・文/朝宮運河 撮影/chihiro.

冲方丁さん(作家)が、奥山真司さん(地政学・戦略学者)に会いに行く_1
左・冲方丁さん 右・奥山真司さん

地政学は「悪の学問」?

冲方 奥山先生の『サクッとわかるビジネス教養 地政学』、とても勉強になりました。

奥山 ありがとうございます。一般向けに単純化しすぎたかなという部分もあるんですが、本質的なところはきちんと押さえたつもりです。

冲方 もちろん現地に行ったら複雑な事情が山ほどあるのでしょうが、その前提となる大まかな知識がないとどうにもならないですからね。世界情勢について学ぶには最適の入門書だと思いました。今日はせっかくなので色々教えていただきたいのですが、まず奥山先生はどうして地政学を専門にされたんですか。

奥山 これが偶然なんです。十代の頃はギターをやっていて、ミュージシャンになりたいと思っていました。高校卒業後、音楽系の学校に入ったんですが、才能のかたまりみたいな連中がゴロゴロいて、あっさり音楽の道は断念しました。その後フリーターみたいなことをしていたんですが、母親の知り合いがカナダに移住していて、暇なら来てみないかと声をかけてくれたんです。

冲方 何か目標があったわけではないんですか。海外でこれをやりたいとか。

奥山 ありませんでした。これでも戦略学が専門なんですが、当時は呆れるほど戦略ゼロでしたね(笑)。ただ中学・高校と地理や歴史の勉強が得意だった。それでカナダのカレッジ(単科大学)で社会の授業を受けてみたら、意外と成績がよかったんです。カレッジの単位があれば総合大学に入れるというので、カナダのブリティッシュ・コロンビア大学に編入しました。ところが大学に行くとアジア系留学生がたくさんいて、日本の歴史認識問題について突っ込んでくるわけです。きちんと勉強したことがなかったので全然答えられなくて、これは勉強しないとヤバいなと痛感しました。

冲方 分かります。海外に行くと、否応なく外からの視点にさらされますからね。

奥山 それで「政治地理学」という授業を受けました。国際政治と地理を絡めた学問というのは面白そうだなと。そこで地政学という概念を初めて知ったんですよ。当時地政学は“悪の学問”的な扱いをされていて……。

冲方 悪の学問? どのあたりが悪なんでしょうか。

奥山 第二次世界大戦の際、ナチスドイツがユダヤ人迫害や領土拡大を正当化するために地政学を利用したんです。そのせいで邪悪な学問であるというイメージが強い。そもそも外交戦略というのは自国の利益のために世界を眺める“上から目線”のところがありますからね。リベラルな国際政治学者からは、帝国主義的だと批判されることが多いんです。

冲方 しかし地球全体で見ると、リベラルな価値観を共有している国の方が少ない。そもそも西側諸国の自由や平等にしても、他国から搾取したものの上に成り立っている場合が多いですよね。

奥山 おっしゃるとおりです。いい悪いは別にして、リアリズムに徹した世界の見方をすることは必要ですね。自分の話に戻しますと、カナダの大学で受けた地政学の授業が面白かったので、インターネットにレポートを公開したんです。それをある出版社が本にしたいと声をかけてくれた。ならば乗りかかった船だし、地政学を極めようとイギリスに渡り、コリン・グレイという戦略学の専門家に師事して今日にいたる、という流れです。結果的に地政学研究者になったのであって、ポリシーや確固とした目的があったわけではないんですよ。

冲方 どんな分野でもプロフェッショナルになる方って、案外そうかもしれないですね。

奥山 いやいや(笑)。一言付け加えておくと、地政学という体系立てられた学問は実は存在しないんです。先ほどお話ししたような事情で、第二次世界大戦終結と同時に、学問としての地政学は潰えましたから。今日あるとすれば地政学的な戦略、地政学的なものの見方ですね。そこは著書の中でも気をつけて書いているつもりです。

冲方丁さん(作家)が、奥山真司さん(地政学・戦略学者)に会いに行く_2

日本が目指すべきはランドパワー? それともシーパワー?

冲方 地政学の基本的な概念として「ランドパワー」と「シーパワー」というものがありますよね。世界情勢を読み解くカギとして奥山先生の本でもくり返し取り上げられています。

奥山 ランドパワーというのはユーラシア大陸にある大陸国家で、ロシアや中国、フランスなどを指します。陸上戦力が主体で、道路や鉄道を使った陸上輸送能力に優れています。一方、シーパワーは国境を海に囲まれた海洋国家のことで、日本やイギリス、アメリカがそれに当たりますね。船はもちろん、造船場や港湾施設などを持っています。人類の歴史では、大きな力を持ったランドパワーの国がさらなるパワーを求めて海洋へ進出した結果、自らのフィールドを守るシーパワーの国と衝突するということを繰り返しています。

冲方 日本は明治維新が起きるまで、内向きのランドパワー国家だった。それが明治以降、海洋へ進出するようになるんだけど、第二次世界大戦中は中国大陸に進出するなど、まさに外向きのランドパワーっぽい振る舞いも取るようになる。その結果戦争に負け、戦後はシーパワー国家として再出発します。つまり日本がシーパワー国家になったのは、それほど古い話ではないですよね。

奥山 はい。日本はまだシーパワー国家としての歴史が浅い。アルフレッド・マハンというアメリカの海軍大学の2代目校長を務めた人物がいるんですが、彼がシーパワーを構成する大きな要素として、政府や国民が海を活用したいと思っているかどうか、という点をあげているんです。日本人にそうした意識は薄いと思います。戦後、アメリカの海上貿易システムに乗っかる形で、日本は経済発展を遂げたので、自力で海を開拓したという感覚が得られなかったんだと思う。

冲方 その結果、ありえないような経済発展を遂げる。こんな幸運を享受した国って歴史的にも珍しい。

奥山 一時は世界でもっとも裕福な国にまで上り詰めたわけですからね。その結果、バブル期にはずいぶんバッシングもされましたけど。

冲方 今の世界情勢を見渡すと、権威主義を強める国と、民主主義を守ろうとする国にはっきり二極化されつつあるような気がするんですが、日本はその狭間にあるというか、両方の萌芽が見られるように思えるんですよ。権威主義に傾こうとしている面もあれば、民主主義のためにはポピュリズムも辞さないという面もある。ランドパワーとシーパワーのどちらを国家のキャラにするかというせめぎ合いが、そういうところにも表れているのかなと。日本はどちらに向くべきなんでしょうか。

奥山 今後もシーパワーで生きていこうというのが政府の基本方針ではあります。安倍元首相はアメリカ依存だったこれまでの貿易の枠組みから一歩進んで、「自由で開かれたインド太平洋」というビジョンを呈示した。これは地政学的に見て、とても大きい功績だったと思いますね。

冲方
 世界は今、ブロック経済に傾きつつありますが、日本は資源がない国ですし、外に出て行かなければ生き残れないですよね。グローバル経済がコロナウイルスを世界に蔓延させ、経済に大打撃を与えたのは皮肉ですが、それでも日本はグローバル経済で生きていくしかない。

奥山 一度シーパワーの国として外に出てしまったからには、鎖国に戻るということはできません。「グローバル経済は怖い。内向きだっていいじゃないか」という人の気持ちも理解できるんですが、鎖国をしていた江戸時代は定期的に飢饉に見舞われていますから。資源も食料もすべて自給自足でまかなうというのは、現実問題難しいんです。

冲方 やっぱり日本はシーパワーに舵を切るしかないわけですね。

奥山 そうです。政府だけでなく我々国民も、世界を相手にしていくんだと意識を切り替える必要がありますね。

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日本が目指すべきはアジアのMC?

冲方 今後日本がアジアのリーダーになる可能性はあるのか。なったとしたらどんなメリット、デメリットがあるのかについても教えていただけますか。

奥山 どうでしょうね。国際会議などに出席していてつくづく実感しますが、日本人は学校教育において、リーダーを目指すための教育を受けていないんです。欧米諸国の人々は“目立ってナンボ”で、自分をがんがんアピールしますが、日本人はそういう習慣がない。国力自体はまだ高いにしても、果たしてリーダーになりたいという意識があるかどうか。

冲方 そうですね。目立つより、そっとしておいてほしい人が多いかも(笑)。

奥山 逆に全員の意見を調整して、こういう意見を求められているんだろうな、というところに適切なコメントを返す能力は高い。意見のまとめ役として、尊敬される部分はあるのかなと思います。

冲方 なるほど。アジアのリーダーというより、アジアのMCを目指した方がいいんですね。

奥山 うまいですね(笑)。日本人はガツガツ前に出ない代わりに、やると約束したことはきちんとこなすことで世界の信頼を勝ち得ています。たとえばパプアニューギニアの軍楽隊を自衛隊が支援します、と約束したらちゃんと出していますから。やるべきことはやる人たちだ、という信頼性は高いですよ。

冲方 私たち自身が、日本人の性格を把握し、世界からどう見られているかも理解して、ストラテジー(戦略)をちゃんと考えた方がいいですね。そこは教育レベルから変えていかなければならないのかもしれない。

奥山 学校教育も内向きですから。まだまだシーパワーのメンタリティにはなっていないんです。