富士山。日本人なら知らない人はいないはずだ。日本で最も高い山として多くの登山客でにぎわいを見せている。富士山がこれほどまでに日本人に愛される理由として、日本文化と強く結びついてきたことが挙げられるだろう。
富士山は2013年に世界遺産に登録された。ふつう、山などの自然景観が世界遺産になる場合は「自然遺産」として登録されるのだが、富士山は「文化遺産」としての登録だった。正式名称は「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」。
自然ではなく、それを取り巻く信仰や芸術のあり方までをも含めた全てが世界遺産になったわけである。
富士信仰の起源は古く縄文まで遡ることができるというが、それが庶民にまで広がったのが、江戸時代だった。平和な時代の下で庶民の旅行が盛んになり、富士山もその目的地の一つになったことがその理由だ。しかし、そこにはまた別の理由もあると私は考えている。
それが、富士山のチェーン展開だ。どういうことだろうか。
富士山はチェーンである。サイゼリヤと富士塚から考える「コピー」への愛
日本で一番高い山、富士山。誰もが知っており夏には多くの登山客で賑わうが、この富士山、なんとチェーン展開しているという。しかもサイゼリヤに似ているとか。いったいどういうことなのか? ドン・キホーテやブックオフなど様々なチェーンストアについて論じてきた谷頭和希氏が語る。(トップ画像 WichM/Shutterstock.com)
日本人と富士山
日本人の「富士好き」
富士山のチェーン展開、それが「富士塚」だ。
これは、富士山を模した小さな山の総称である。「ミニ富士山」といったところか。元々あった岡や山を富士山に見立てたものや、わざわざ土を盛って富士山を総称したものなど、たくさんの「ミニ富士山」が江戸時代には存在した。
いったいこれのどこがチェーンなんだ、と思われるだろうが、もう少し待ってほしい。その前に富士塚について少し見ておきたい。
歴史上最も古い富士塚とされているのが、早稲田の水稲荷神社の境内にある「高田富士」。江戸時代初期に高田藤四郎が築いたもので、今でも富士登山の解禁日に登ることができる(今年はコロナウイルスの影響により中止)。

品川神社の品川富士
明治時代には「江戸八富士」というスター的な存在の富士塚があり、品川富士や十条富士、千駄ヶ谷富士などが有名だったという。関東だけでも、300を超える富士塚があったというから、その数の多さが分かるだろう。
この富士塚の数の多さをみると、日本人は「富士山好き」というよりも「富士塚好き」、あるいは「『富士』好き」だったのかもしれない、とも思えてくる。富士塚は富士山のコピーでしかないのに、かくも愛されていたのだ。
富士塚というチェーン
さて、富士塚はチェーンであるという問題である。
さきほども述べたように、江戸時代には関東だけで300を越す富士塚があった。つまり、その辺りをなんとなく歩いていれば富士塚に出会うのだ。これってチェーン店っぽくないだろうか。ちなみにスーパーマーケットのマルエツは関東圏1都5県に約300店舗あるという。富士塚とほぼ一緒ではないか。
それだけかよ、と思われた方。それだけではない。
富士塚は、富士山に登りたくても登ることができない人々のために、そこに登るだけで本物の富士山に登ったのと同じだけのご利益が得られるとされていた。江戸時代の人々は、富士塚で、富士山の「本物の雰囲気」を味わったに違いない。
このとき、私は、はたと気付いたのだ。
これって「サイゼリヤ」と一緒ではないか?
サイゼリヤと富士塚
言わずと知れたイタリアンレストランチェーンの「サイゼリヤ」。
この店もまた、「本物の雰囲気」を味わう場所である。ここでいう「本物」とは本場イタリアの食文化のことであり、実際に公式ホームページを見ると「サイゼリヤは、創業以来イタリアの豊かな食文化を丸ごと日本へ持って来て、日本のお客様に喜んでもらおうという理念」があるという。
サイゼリヤにいくとき、私たちは本場イタリアを疑似体験しているのだ。
そう考えると、江戸時代の人々が富士塚で経験することと似たことを、現代人も行っているのだと気が付く。
そもそも、富士山に登るのだってイタリアに行くのだって、どちらも大変である。それが、近所で済んでしまうのだ。これが富士塚の醍醐味であり、サイゼリヤの醍醐味でもあるだろう。
一つのチェーンでしかないサイゼリヤとの比較だけで、チェーンと言ってしまうのは乱暴かもしれないが、少なくとも富士塚の「チェーンっぽさ」の一端を感じることができるのではないか。
「コピー」への愛が富士山を日本人に広めた
先ほども指摘したように、日本人の「富士好き」は目を見張るものがある。そして、それと同時に、(Twitterでよく話題に上がることからも分かるように)日本人はなぜかサイゼリヤが大好きだ。
「コピー」に謎の愛情が存在する点において、なんだか、サイゼリヤ好きの感じが、どことなく富士好きの感じとダブって見えてくる。どちらも本物ではない「コピー」なのだが、日本人はその「コピー」になにかを見出しているのではないか。
そして、話を富士山に戻すならば、こうした「コピー好き」という側面こそ、富士山がこのように日本人に広まった理由だと思われてならない。
一般に我々は、オリジナルとコピーを区別して考え、オリジナルこそ重要だと思いがちだ。しかし、富士信仰では、「富士山」というオリジナルに対して「富士塚」というコピーにも、その霊験が認められている。もしも日本人がオリジナル、つまり「富士山に行くことでしか霊験が得られない」という価値観しか認めないのであれば、富士山はここまで私たちの生活に深く入り込んでいなかっただろう。
富士塚という「コピー」があり、そしてその「コピー」への愛があったからこそ、富士山はこのように我々の生活に広まったのだ。
都内には、まだ登ることのできる富士塚がいくつかある。ぜひ、自分の足でこの「コピー」を登り、富士信仰の効果を得たいところだ。

鳩森八幡神社の千駄ヶ谷富士
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