――2015年の現役引退後、指導者などでサッカー界にかかわっていく選択肢はなかったのですか?
それはありませんでしたね。引退後は、現場レベル、ピッチレベルでサッカー界に貢献するよりも、Jリーグだけではなく、サッカー界やスポーツ界の課題を解決できれば、と考えていました。
僕は2004年から2012年までの9年間、日本プロサッカー選手会の副会長をつとめさせていただいたんですが、その間は年々、アスリートのセカンドキャリアについての話題が増え、自然と自分の「サッカー後」について考えるようになったんです。特にヒデさん(中田英寿)にはものすごく大きな影響を受けました。
――どんな影響ですか?
ヒデさんは日本代表の中心選手だった時代に、簿記や税理士などの勉強をして資格を取得していたことを知ったんです。
その頃、僕はただのサッカー少年でした。いつか日本代表になってワールドカップに出る。それが、人生のすべてだと信じて疑いもしていなかった。当然、サッカー後の人生なんて想像もしていない。でも中田英寿というトッププレーヤーがサッカーとは違う世界を見ている――それがただただ衝撃でした。
サッカー以外の世界で勝負したいという話ではなく、世の中はサッカーだけではないという当たり前の事実に気づかされたんです。
元サッカー日本代表・鈴木啓太「実業家への転身は中田英寿さんの影響も大きかった」
Jリーグ、浦和レッズひと筋16年。サッカー日本代表としても活躍した鈴木啓太氏。現在はアスリートのうんちを集めて、その腸内環境を研究するにスタートアップ「AuB(オーブ)」を設立。栄養補助食品などの販売を手がけている。彼が引退後、サッカー界で指導者を目指さなかった背景には、あの中田英寿氏の影響も大きかったという。
プロ入り当初の給料は大卒の初任給ほど

1981年7月生まれ、静岡県出身。高校卒業後、2000年に浦和レッズに入団。06年にJ1優勝、07年にはAFCチャンピオンズリーグ優勝に貢献し、2年連続でJリーグベストイレブンを受賞。06年には日本代表に初選出され、07年にはAFCアジアカップに出場。15年に現役を引退
――中田さんはプレー以外の面でも選手に影響を与えていたんですね。
そうですね。それともうひとつ、プロになったとたんに理想と現実のギャップを突き付けられたことも大きいです。現在、JリーグにはA、B、Cと3つの段階の選手契約があります。新卒選手は基本的にC契約でスタートする。B契約とC契約の年俸は480万円と決められています。
C契約の選手は、J1リーグで450分……つまり5試合以上、J2リーグだと900分以上試合に出場して、やっと年俸の上限がないA契約を結ぶ権利を得られる。
高卒でプロになった僕もC契約からスタートしました。最初は年俸480万円に満たない契約で、詳しくは話せませんが、月にすれば、大卒の初任給ほど。正直、「俺はこれだけサッカーをがんばって、プロ選手になったのに……」とショックでした。
それでも大学に進んだ同級生たちは、僕をプロという目で見るでしょう。同級生とたまに遊んで、食事を1回ごちそうしたら、それでお金がなくなってしまうような生活でした。
指導者のライセンスを取らなかった理由
――Jリーガーと聞くと華やかな印象を持ちますが、実際は厳しいんですね。
そんな経験をしたからこそ、プロが人生のゴールじゃないという考えを持てたのかもしれません。プロになったからと言って、一生サッカーで稼いで生きていけるわけではない。それどころか30歳までプレーできれば、ラッキーという世界です。
先ほど指導者になる選択はなかったのか、という質問をいただきましたが、指導者は選手よりも席が少ない、もっと厳しい世界ですからね。

――指導者になることはまったく考えなかったのですか?
もちろん僕はプロとしてサッカーにすべてを賭けました。ファンやサポーターの応援は本当にありがたかった。だからこそ、選手だけではなく、子どもたちやファン、サポーターの方々も含めたサッカーをめぐる環境づくり、街づくりをさらに発展させていく必要があるのではないかと思ったんです。
だったら、まず僕自身がサッカー界の外でチャレンジしてみよう、と。そうした将来像を具体的にイメージしたのが、26歳か27歳。それからサッカー界以外の人とも積極的に会うようになりました。だから、指導者のライセンスは一切取っていないんですよ。
――現役時代からサッカー以外の世界を見ようとした体験はプレーに影響を与えましたか?
サッカー以外の人に会って話を聞く経験は、僕自身が置かれた状況や、サッカー界の環境を客観的に見るために必要なプロセスでした。それに、将来が漠然と不安だからといって、サッカーだけに集中していたとしたら、もっと不安になったかもしれません。
いまも後輩に「サッカーから離れるのは怖くなかったですか」と聞かれます。僕はそのたびに「サッカーしか知らない方がリスクだし、怖いよ」と答えています。サッカー以外に、いくつか選択を持っていれば、ミスや失敗をしても次のチャンスがありますから。
――ピンチの芽を事前に摘み取るボランチだった鈴木さんらしい考え方ですね。
いま振り返れば、そうですね。ゲーム中のリスクマネジメントが、僕のプレースタイルでした。
アスリートは健康に貢献する存在になりえる
――リスクマネジメントは新事業の立ち上げにも活きましたか?
いえ、起業してからは本当に大変で、いまもリスクを背負ってばかりですよ(苦笑)。
もともとの起業の目的が、アスリートの腸内環境や便の研究でしたが、研究だけでは収入にならない。起業当初は、人に会うたびにサプリメント発売を勧められました。
でも起業の目的であるアスリートの腸内環境や便の研究がスタートもしていないのに、サプリメントの開発もなにもないでしょう。
納得できる研究成果が得られるまでは自社の商品の発売には踏み切れなかった。だって、サプリメント発売が目的ならサプリメント屋さんになればいいわけですから。

AuBではアスリートの腸内細菌データの研究を通じて、理想的な腸内環境に近づくための「アスリート・ビオ・ミックス」シリーズを開発、販売。酪酸菌、乳酸菌、ビフィズス菌のほか、人に有用な約30種類の菌を独自に選定してブレンドしている
――「AuB」が発売した栄養補助食品は研究の成果でもあるわけですね。
ここまで本当に苦労しました。資金が尽きかけて、眠れなかったり、朝に吐き気がしたりするほど追い詰められた時期もありました。でもきっと、僕がビジネスについてよく分かっていなかったから、無茶ができたと思うんです。だから理想を追って、初志を貫けた。資金繰りは、いまもキツいですけどね(苦笑)。
――起業のときも、周囲の人たちに反対されましたか?
されました。とくにビジネスを知るたくさんの人に反対されましたよ。絶対にムリだ、やめた方がいいと。これって、僕が子どもの頃、プロサッカー選手になりたいと宣言したときの周りの反応と。同じだなと思ったんです。
でも、サッカーに関しても起業に関しても僕は本気だったし、応援してくれる人もいる。だから、いまも現役時代に思い描いた、アスリートはたくさんの人に感動を与えるだけではなく、その健康に貢献する存在になりえる……そんな理想を実現していきたいと思ってます。
取材・文/山川徹 撮影/村上庄吾
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