【中村憲剛×島田慎二対談 前編】スタジアムやアリーナ…最高の舞台は、選手にも地方創生の力にもなる_a

サッカー部経験がないのに選手権に出るため強豪校に越境入学

中村
島田チェアマンにお会いできることを楽しみにしていました。僕、「B.LEAGUE AWARD SHOW 2017-18」にプレゼンターとして呼んでいただいたことがありまして。そのときに千葉ジェッツが入場者数ナンバー1クラブ、ホスピタリティナンバー1クラブ、ソーシャルメディア最優秀クラブと、クラブ向けの表彰を総ナメにしたんですよ。昔はそこまで人気のなかったクラブが、島田さんが社長に就任されて以後、すごく盛り上がってきているんだという話を聞いていました。2020-21シーズンに初優勝する過程もそうですけど、千葉ジェッツと僕のいた川崎フロンターレとは重なるところがあるなって思っていました。

島田 
ありがとうございます。そのアワードショーには社長として出席していて“三冠”達成は本当にうれしかったですね。私は元々サッカーファンなので、憲剛さんのプレーはずっと見ていました。現役時代、第一線で18年間ですものね。

中村 
18年って長かったなと引退2年目にしてようやく思えるようになりました(笑)。

島田 
今でもピッチに立っていそうな感じが伝わってきます。「幻影」を残し続けられる存在感を出せる人って、なかなかいないですよ。今日お会いしても選手の延長線上にいるような雰囲気があります。

中村 
それはとても嬉しいですね。ありがとうございます。島田さんはこうして選手OBや現役選手と対談することってよくあるのですか?

島田 
いや、そんなにはないですね。私はバスケを本格的にやった経験もないので、選手と絡んでもあまりいい絵が撮れないと思われているんじゃないですかね(笑)。

中村 
そんなことあるわけないじゃないですか(笑)。
Jリーグのチェアマンを3月15日で退任された村井満さんは中学までバスケ部で、高校以外は本格的なサッカー経験はなかったそうですが、サッカー界をよくしていこうという熱量がものすごくありました。僕が言うのもおこがましいですが、島田さんの取り組みを知るとそういった熱量を感じます。

島田 
村井さんのことは私もすごく尊敬していますし、チェアマン就任時など実際にいろいろとアドバイスもいただきました。

中村
島田さんはサッカー少年だったとうかがいました。新潟のご出身で中学は野球部だったのに、卒業後は越境して日大山形に進学してサッカー部に入られた、と。

島田 
はい。田舎だったもので野球部はあってもサッカー部がなくて。だから野球をやりながら、指導してくれる指導者もいなかったので見様見真似でサッカーの練習もしていました。ほぼ素人の状態だったのですが、「高校選手権に出たい!」と思って山形に行ったんです。

中村 
そのチャレンジはなかなかできないですよ。

島田 
当時、越境までして来るってことは、それなりの自信を持って乗り込んでくるんだと思われるわけです。でも実際は素人ですから、部員が100人ほどいて最初はもちろん箸にも棒にも掛かりません。その程度だったんですけど、3年生になってちょっと試合に出られるようになって。

中村
日大山形と言えば強豪校です。

島田 
私の高校時代は、選手権、インターハイ、国体と県内三冠でした。同期に高橋健二がいたんですよ。

中村
あの、ミスターモンテディオの!

島田 
はい。2年生のときは全国選手権でも勝ち進み、ベスト8を懸けた試合で、下川健一(元日本代表GK)さんのいる岐阜工にPK戦で負けて。勝てば次の相手は国見だったんですよね。こう高らかに語っていますけど、私は当然出てないです(笑)。

中村 
いや、高校サッカーを知っている身からすれば、ほぼ素人の状態から努力して選手権に出てくるような強豪チームでちょっと試合に出られるようになったって、普通聞かないです。島田さんの、その後のチャレンジしていく人生とどこかつながっているようにも感じます。