悪化する娘の病状、追い詰めた介護の限界

A子被告はB子さんがまだ幼かった2002年に離婚。2022年には自宅で暮らしてきた両親も相次いで亡くなった。両親の介護もA子被告が担ったという。

Cさんによると、A子被告は週に数回、午前中の数時間だけパートに出ていたようだ。B子さんが平日の日中に通ったデイサポートセンターは、朝はB子さんを迎えに来るが、夕方はA子被告が車で施設へ迎えに行き、B子さんを自宅へ連れて帰っていた。

「A子ちゃんは『人(職員)がいなくてどうにもなんないから(夕方は自宅まで)送れないって(施設に)言われた』と話していた」とCさんは証言する。

そうしたぎりぎりの生活は、2023年にB子さんが施設で毎日大声を上げるようになってさらに厳しくなる。施設側がA子被告に「施設を代わることを考えてほしい」と言ってきたのだという。

9月15日の公判で弁護人は、この状況を「A子さんは真面目で施設に無茶な注文をするわけでもない。そうした人が、自分の子が預けている先で絶叫を2年近くずっとしている。施設からは『代わってくれ』と言われる。施設を探しても見つからない。どんどん追い込まれていったことは想像に難くない」と裁判員に訴えた。

事件現場となった千葉県茂原市のA子被告の自宅(撮影/集英社オンライン)
事件現場となった千葉県茂原市のA子被告の自宅(撮影/集英社オンライン)

2025年、医師から処方された薬を服用するようになるとB子さんの大声は収まった。一方、その後、てんかんの発作が毎日のように起きるようになる。そのたびに施設に迎えに行ったA子被告はパートを続けられなくなる。

「B子さんの命を守り幸せを実現しよう、というのがA子さんの人生のテーマでした。しかしてんかん発作の頻発はまさに命にかかわる事項だった。B子さんからは表情がなくなった。幸せではなくなることに直結する事項だ。Aさんの人生をかけたテーマの実現が困難になってきた」(弁護人)

昨年10月、A子被告は、介護者が一時的に休むために患者が短期間入院する「レスパイト入院」を地域の病院に申し込んだ。自身もうつ病を患っていたA子被告が、介護を休みたいとの意思表示をしたのは初めてだった可能性がある。だが、病院側は受け入れに必要な医療体制が整っていないとして断ったという。A子被告の休みたいという願いはかなわなかった。

少なくともこのときまでは、A子被告はB子さんを守る自分がつぶれてはいけないと考えていたことがうかがえる。