校内に咲いている花をよく友達と眺めていた

猿之助こと本名、喜熨斗(きのし)孝彦は1975年11月26日、四代目段四郎(享年75)と妻・延子(享年76)の長男として生まれ、一人っ子として育った。のちに名跡を受け継ぐ三代目猿之助(現二代目猿翁)は段四郎の兄であり、伯父にあたる。

猿之助と段四郎が二大看板の澤瀉屋(おもだかや)にあって、そのど真ん中に生を受けた孝彦は「二代目亀次郎」を襲名して7歳で初舞台を踏んだ。また私生活においては、小学校から高校卒業までフランス系カトリック校の名門私立学園で学び、慶應義塾大学に進んで国文学を専攻した。

キノシと呼ばれていた中学時代(知人提供)
キノシと呼ばれていた中学時代(知人提供)

小学校から高校時代までの同級生は当時をこう振り返る。

「当時、猿之助は『キノシ』と苗字で呼ばれることが多かったですね。大人しいグループに所属していて、いつも2、3人で追いかけっこしたり、校内に咲いている花を友達と眺めたりしていました。家族が歌舞伎関係者なのは知っていましたが、段四郎さんと聞いても当時はピンとこないし、『キノシも歌舞伎の稽古をしているのだろう』くらいにしか思っていませんでした。歌舞伎の女形の練習をしていたこともあってか、小学校のころから走り方やしゃべり方、ちょっとした仕草にツヤっぽさを感じさせるところはありました。中学校に進むと、まつ毛が長く目もとが綺麗で『歌舞伎役者ってすごいな』と思った覚えがあります。イジメとかとは無縁だったと思います」

男子校だったこともあり、同級生は休み時間や放課後に好きなアイドルや芸能人を言い合うことで盛り上がることがしばしばあったが、猿之助はこの手の話題には興味がなかったという。

別の同級生の母親はこう話した。

「猿之助さんのことは息子から聞いていました。小学校のころから朝6時に稽古したあとに学校に来て、放課後も帰ったらすぐに稽古という生活だったそうです。それでも中学、高校時代の成績はつねに上位でしたね。とはいえ、学校自体が芸能活動と勉学の両立を応援するような方針ですから、ほかにも目立ってる方はいて、そういう意味で猿之助さんはそこまで目立つ存在ではなかったのかもしれません。でも同級生の間では評判もよかったと思いますよ」

学生時代、目立たず寡黙で優秀だった少年は、高校卒業後に世間から注目を集めていった。2007年にNHK大河ドラマ『風林火山』で武田信玄を演じて以降、テレビドラマ、映画、バラエティ番組に多数出演するなど、活躍は歌舞伎界にとどまらなかった――。

高校時代の猿之助被告(知人提供)
高校時代の猿之助被告(知人提供)

ある同級生は繊細だった「キノシ」を振り返りつつ、冷静にこう語った。

「校内に咲いている花をよく友達と眺めたりしていましたけど、今になって思えばちょっと繊細というか、独特な感性だったんでしょうね。当時はパワハラやセクハラをするタイプではなかったのですが、いつしか自分に従ってくる人間に対して傲慢になってしまったのかもしれません。
そういえば30代のころに同級生で集まって飲んだときには、キノシは昔のナヨっとした感じが消え、凛々しさが出ていました。仕事で活躍するようになっていたし、昔は周りにいなかった同級生も『キノシ、キノシ』と集まるようになっていた。自分を取り巻く環境がガラッと変わり、勘違いするようになったのかもしれません」