四代目の四代目による四代目のためのステージ
抜けた大黒柱はもう留置房の中だ。簡単に引き戻せないとわかれば、変わり身が早いのも世の常だが。
「事件発生直後は『團子の完璧な代役』、6月は『中車の主演復帰とその予想以上の出来栄え』で乗り切り、来月は『中車宙乗り』でも話題を集め、チケットは売れるだろう。日本人は基本判官びいきだから(苦笑)。でも、その次の”目玉”はなくて、特に8月の『新・水滸伝』は今からお通夜の予感しかしない。
あと、可哀想なのは7月に出演する浅野和之さんだね。猿之助が抜擢し、重用してきた俳優のひとりだが、あれは猿之助がいる舞台だからこそ“スパイス”として生きる。猿之助がいないなかでメインキャストのひとりとして、歌舞伎の訓練をしたわけでもない浅野さんが出るというのは無理がある。しかも歌舞伎座ですからね。本人も当惑していると聞いていますよ」
澤瀉屋関係者は続ける。
「そもそもここ数年の猿之助の舞台はもう、いかに彼をすばらしく見せるかというだけの舞台。5月明治座の『不死鳥よ波涛を超えて』も44年ぶりの再演、六月大歌舞伎の『吃又』の『浮世又平住家の場』の幕も53年ぶりの再演。この幕は、主人公の妻である『おとく』が活躍する舞踊劇で、もちろん、おとくは四代目が演じるはずだった。つまり、両方とも四代目の四代目による四代目のためのステージでした」
松竹や澤瀉屋に「逮捕まではない」と楽観論がはびこっていたのは、猿之助が自らを「替えの利かない存在」にまでガチガチに固めていてしまったからではないか。次代の「猿之助」と目されている團子にしても、四代目の承認がなければ継承は叶わない。
「四代目は後援会の食事会で『止め名にするも私の胸の内三寸』と『猿之助』の名跡について話していた。猿之助を名乗るからには、周囲をひれ伏させるようなカリスマ性が最重要で、同情論や名跡を途絶えさせてはいけないという理由だけで継がせられるものじゃないんです」
やはり松竹や澤瀉屋にとって「猿之助逮捕」は激痛だった。しかし、ご都合主義の楽観姿勢がこの体たらくを招いたことも間違いない。ある歌舞伎関係者はこうあきれた。
「澤瀉屋の一部では猿之助が『最愛』と遺書まで残したマネージャーのAが、文春の直撃を受けてひどい裏切り発言をしてからも『猿之助が贔屓していたAがあんな発言をするはずがない。仮にしたとしても自分がヒールになることで猿之助を守ろうとした発言に違いない』と受け止めていた。彼らの中には『だから我々もAを守らなければ』とまで言っている人までいるのだとか。人がいいというか、世間知らずというか…」
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取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班