書かれたらやばい“トラブル”はまだまだあった  

事件は猿之助の性加害問題を報じた女性誌の発行日(5月18日)に起こった。猿之助は逮捕前の任意聴取に「週刊誌報道をきっかけとして家族会議が行われ、みんなでさよならすることにした」と説明したという。

市川猿之助(写真/共同通信社)
市川猿之助(写真/共同通信社)
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「猿之助さんは自殺未遂後、医師に『(女性誌に)あること、ないこと書かれた』と説明したようですが、お弟子さんや澤瀉屋内では、猿之助さんの振る舞いや言動に対する不満の声は以前からあり、書かれたらやばい“トラブル”はまだまだあった。これまで梨園のトラブルやスキャンダルはどこかで、『芸の肥やし』として許されてきましたが、昨年の香川照之さんのパワハラや、一連のジャニーズ事務所のセクハラ報道など世間の目はどんどん厳しくなっている。繊細な猿之助さんは、そうしたバッシングが怖かったのかもしれません」(スポーツ紙デスク)

猿之助こと本名、喜熨斗(きのし)孝彦は1975年11月26日、四代目段四郎と妻・延子の長男として生まれ、一人っ子として育った。後に名跡を受け継ぐ三代目猿之助(現二代目猿翁)は段四郎の兄であり、伯父にあたる。

猿之助と段四郎が二大看板の澤瀉屋(おもだかや)にあって、そのど真ん中に生を受けた孝彦は二代目亀治郎を襲名して7歳で初舞台を踏んだ。私生活では小学校から高校卒業までフランス系カトリック校の名門私立学園で学び、慶應義塾大学に進んで国文学を専攻、卒業した。小学校から高校時代までの同級生は当時をこう振り返る。

中学時代の猿之助(知人提供)
中学時代の猿之助(知人提供)

「当時、猿之助は『キノシ』と苗字で呼ばれる事が多かったですね。おとなしいグループに属していて、いつも2、3人で追いかけっこしたり、校内に咲いてる花を友達と眺めたりしていました。家族が歌舞伎関係者なのは知っていましたが、段四郎さんと聞いても当時はピンとこないし、キノシも歌舞伎の稽古をしているのだろうくらいにしか思っていませんでした。歌舞伎の女形の練習をしていたこともあってか、小学校の頃から走り方や喋り方、ちょっとした仕草にツヤっぽさを感じさせるところはありました。中学に進むと、まつ毛が長く目もとが綺麗で『歌舞伎役者ってすごいな』と思った覚えがあります。イジメとかとは無縁だったと思います」

男子校だったこともあり、同級生は休み時間や放課後に好きなアイドルや芸能人を言い合うことで盛り上がることがしばしばあったが、猿之助はこの手の話題には興味がなかったようだ。