5月6日から全国で上映されている映画『オードリー・ヘプバーン』(2020)を見た。
オードリー・ヘプバーンの生涯を関係者の証言を基に浮かび上がらせた本作は、プロフィールに基づく情報量よりもオードリー・ヘプバーンの人間的な魅力が大きく描かれたハートウォーミングな作品だった。
自分がオードリー作品に初めて触れたのは2016年。
大阪ステーションシティシネマで行われていた往年の名作映画をデジタルリマスター版で上映する企画「午前十時の映画祭」に『ローマの休日』(1953)がラインナップされていたのだ。
当時15歳。名前は聞いたことがあるものの、どんな作品かもまったく知らないままチケットを買った。
劇場には往年のオードリーファンらしき年配のお客さんで溢れかえっており、時代が変わってもこれだけ支持されているのかと驚いた記憶がある。
『ローマの休日』でのオードリーのかわいさに、15歳の自分は見事に心をつかまれた
本業の落語のみならず、映画や音楽など幅広くカルチャーに造詣が深い20歳の落語家・桂枝之進さん。自身が生まれる前に公開された2001年以前の作品を“クラシック映画”と位置づけ、Z世代の視点で新たな魅力を掘り起こす。
Z世代の落語家・桂枝之進のクラシック映画噺②
オードリーとの出会いは15歳

Photofest/AFLO
簡単なあらすじを説明すると、公務でローマを訪れていたアン王女(オードリー・ヘプバーン)が夜中に市内へ飛び出し、自由を楽しみながらたまたま出会った新聞記者と恋をするという、ロマンス映画不朽の名作。
この映画、とにかくオードリーが“かわいい”のだ。
ローマを訪れた初日、荘厳な舞踏会に疲れたアン王女がこっそりヒールを脱ごうとするシーン。
ヒールが転がってしまい、周囲からバレそうになるコミカルな場面なのだが、おもしろさを凌駕するオードリーのかわいらしさがスクリーンから飛び出してきて、開始早々、心をつかまれた。
他にもお忍びで街へ出たはずがバイクに乗って暴走する場面など、大胆で天然なキャラクターの中に一貫して“かわいい”と感じさせる圧倒的なオーラをまとっているのだ。
恋愛の描き方に感じたジェネレーションギャップ
1953年の公開時(日本は1954年公開)は、劇中で髪をバッサリ切ってでき上がった通称「ヘプバーンカット」が世界中でブームとなり、ローマの街中を乗り回したバイク「ベスパ」は本作の公開後10万台以上を売り上げたという。
社会現象を巻き起こしたオードリーの圧倒的なかわいらしさに、約60年後、15歳の自分が心をつかまれたのは必然だったのかもしれない。
デジタルリマスター版の上映が満席になっていたのも納得できる。

Everett Collection/アフロ
アン王女と恋に落ちる新聞記者ブラッドレーを演じたのはグレゴリー・ペック。
王女のスクープを狙う野心溢れる新聞記者だったものの、彼女が王女だと知らないふりをして共にローマを巡りながら1日を過ごすうち、一人の男として彼女に惹かれていく心理のグラデーションが丁寧に描かれていた。
往時のロマンス映画の名作に共通して感じるのは、恋愛の描き方が今とは違うな、ということ。
『ローマの休日』では、何気ない1日を過ごすなかで少しずつ互いに惹かれ合い、終盤で初めてキスシーンがあるのだが、最近の恋愛映画では比較的早い段階で恋人になり、その後にふたりがどのように関係性を深めていくのか(または関係性が壊れていくのか)を描いている作品が多いように感じる。
そんな作品に慣れているためか、『ローマの休日』のようなクラシック映画を見ていると、なかなか核心に迫らないふたりに「おい〜!」と内心ドギマギしてしまう。
硬派な男がカッコいいとされていた時代なのだろうか。ジェネレーションギャップを感じた。

この記事を書くにあたって、同世代には果たしてどれくらいのオードリーファンがいるのかと、インスタグラムのアンケート機能を使って質問してみることにした。
すると驚くことに、これまでのアンケートの中で最も多くの好意的なリアクションが返ってきたのだ。
なかでも同世代の女の子が憧れの女性像として挙げているケースが目立っており、時代が変わってもなお理想的な存在として支持される、オードリーのスケールの大きさを感じた瞬間だった。
『ローマの休日』(1953) Roman Holiday/上映時間1時間58分/アメリカ
某国の王位継承者であるアン王女(オードリー・ヘプバーン)は、ヨーロッパ各地を表敬訪問中。ところが最後の滞在国であるイタリアのローマで、過密スケジュールと自由のない生活に不満が爆発。王女は夜に密かに滞在先から抜け出してしまう。ベンチで寝ていた彼女を見かねて介抱したアメリカ人新聞記者のジョー・ブラッドレー(グレゴリー・ペック)は、アンが王女であることに気づき、特ダネをつかもうとローマ巡りへ連れ出すことに……。