「デブの逃げ道じゃねえ」中1で浴びた一言からDragon Ash〜ウータン・クランまで
――舐達麻を結成して以降は、熊谷のクラブでイベントを主催してましたよね。
熊谷のLagoonっていうクラブで、舐達麻の主催というか、地元のラッパーみんなでしばらくイベントやってましたね。地元には日本トップレベルのバトルDJの先輩とか何人もいましたよ。Lagoonはもう今なくなっちゃったんですけど、当時は1階にあって、2階から上がデリヘルの待機所だったのが、そのデリヘルが潰れちゃって、一般の住居になったことで騒音問題みたいなことを聞きましたけど。
――遊ぶ時はどんなクラブに行ってたんですか?
東京だと、渋谷のTHE GAMEっていうクラブで、妄走族のメンバーが主催していた「A+ TOKYO SHIT」っていうイベントは、よく出演もさせてもらって行ってました。優勝したらMVを撮ってもらえるっていうライブバトルがあって、そういうのにもたまに出たり。板橋の「DO THE 板橋ング」なるローカルなイベントとかにもよく出てましたね(笑)。
――そもそも音楽には、いつ頃から、どういう流れで興味を持ったのでしょうか。
中1の頃、体がでかかったので、ダボダボの服着てたんです。そしたら、溜まり場になっている友だちの家に、ヒップホップ好きでDJもやってる年上の先輩が来て「おい、Bボーイみたいな格好してるけど、ラッパー誰が好きなんだ?」って。
その頃はヒップホップとか全然わからなかったので、正直に「そういうのわからないです」って言ったら、「Bボーイの格好してるのにヒップホップ聴いてないのマジでだせえから」「Bボーイのファッションはデブの逃げ道じゃねえからな」って。俺まだ中1の終わりとかだったんですけど、「そんな言う?」「この服装、逃げ道だったの?」みたいな(笑)。
でも、それがきっかけで、その溜まり場がヒップホップ一色になったんです。その先輩が持ってくるヒップホップのCDをみんなで聴きあさって。それこそDragon AshがZeebraとAcoをフィーチャリングした『Grateful Days』から、ウータン・クラン、Mobb Deepとかまで何でも聴きました。
先輩いわく「好き嫌いとか関係なく、なんでも聴け。ひとつに傾倒するな」「聴きまくったうえで、自分の好みを知れ。好きだけじゃなく、嫌いなものにも理由を見つけろ」って。いきなりハードモードですけど、その教えをちゃんと守りました。
なので、後のJ -POPシーンに躍り出たコアなヘッズが毛嫌いしたRAP達も分け隔てなく聴くことができましたね。それが今になって思うと、ほんとよかったなって。引き出しが増えて、肥やしになっているなと思います。













