ゴミの出し方で近隣トラブル、「こんなのやってられるか」と引っ越し

祐也被告が覚醒剤取締法違反で最初に逮捕されたのは1998年1月、まだ高校3年・18歳のときだ。初犯かつ未成年ということで保護観察処分となるも、高校は退学処分に。2回目は2000年10月で懲役2年・執行猶予5年の判決となった。このときは世田谷区にある自宅地下室でのパーティが舞台で、夜な夜な仲間を呼び入れ、覚醒剤に溺れていったという。

繁華街でポーズをとる高橋祐也被告(知人提供)
繁華街でポーズをとる高橋祐也被告(知人提供)
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「あの地下室は本当に広かった。もともとは三田佳子さんが稽古部屋として使っていたところで完全防音仕様。三田さんや親父さんの目に触れずに入ることができるので、いろんな人が合鍵を持っていました。地下には、広い部屋とは別に8畳ほどの小さい部屋もあり、ベッドが置かれていて、そこが“ヤリ部屋”になっていたそうです。祐也が、『ヤリ部屋って言葉は俺が語源だ』なんて自慢していることもありました」(祐也被告をよく知る長年の友人A氏)

2007年11月の3回目逮捕では懲役1年6ヶ月の実刑判決を受けた。その後、2010年に一般女性と結婚、息子を授かった。

「結婚生活を送るために、親に金を出してもらい世田谷区桜新町に2階建の一軒家を建てました。ところが、ゴミの出し方で近隣トラブルになり、『こんなのやってられるか』と怒りだして家を売ってしまった。結局、1億円くらいで売れたそうなのですが、祐也はその金を自分の口座に入れてしまった。
その後、渋谷区恵比寿のマンションに引っ越しましたが、そこの家賃は親に払ってもらっていたので、1億円がまるまる浮いた。そのお金で恵比寿のサパークラブに通って使い込んだだけでなく、さらに追加で5000万円くらい親から引っ張っていたので、2年間で1億5000万円は使っていましたね。

豪快に遊んでいた祐也被告(知人提供)
豪快に遊んでいた祐也被告(知人提供)

その場にいる他の男性客の分も奢るし、女の子たちには隣に座ってくれたら3万円、さらにタクシー代で3万円と渡していく。でも本人はチヤホヤされたいだけなので、体の関係を求めたりしないんです。女の子たちにとってはこんなおいしい話はないですから、たくさんの子が祐也の周りに集まっていました」(A氏)