納税者が政治家の機嫌まで取らされる
だから予算を配る仕組みを残したまま、1人ずつ立派な政治家になれと説いても無駄になる。廃止すべき事業まで守り合う方が、関係者の損得に合うからだ。
簗氏の発言で腹が立つのは、納税者が政治家の機嫌まで取らされる点だ。簗氏を支持しない自治体の住民も、税金を払っている。自民党へ投票しなかったからといって、納税を免れたわけではない。
それなのに、金を配る段になると選挙で誰を応援したかを持ち出す。国民から預かった金を、支配下にある町への褒美のように語る。地元を代表しているつもりなのか、地元を所有しているつもりなのか。
たとえば、役所が削減案を出したところへ議員が口を出し、地元の事業を復活させれば、その議員はまた恩を売れる。まず金をつけた功績を語り、今度は金を守った功績を語る。最初の支出が必要だったかという話は消え、頼みを通した手腕だけが残る。
予算を配る仕組みを握ったままなら、改革騒ぎまで営業の機会になる。こんな政治で評価されるのは、客に売れる商品を作った人でも、無駄を減らした人でもない。税金の配り先を変えた人だ。自民党の「政治力」をありがたがる気にはなれない。
自分に逆らった相手を痛めつけたかのように自慢
削った金を別の支持者へ回しても、国民の負担は軽くならない。配り先を握る政治家の権力が強まるだけだ。簗氏は税金の無駄を省いたと胸を張ったのではなく、自分に逆らった相手を痛めつけたかのように自慢した。
住民に必要な道路を、政治家個人の選挙の貸し借りに使う。その発想が腐っている。発言を撤回しても、自分で口にした言葉の卑しさは変わらない。首長は住民に選ばれた代表であって、自民党議員の子分ではない。
自分を応援しない首長が気に入らないからと、その町で暮らす人にまで予算の不安を負わせる。国民の生活より、自分の面子の方が大切なのか。
10月9日の自民党の会合で、鈴木宗男氏は簗氏を「人としての矜持が問われている」と叱った。簗氏は農政関連予算などへの協力を求め、出席者は拍手していた。そこへ宗男氏が立ち上がり、挨拶の最初に謝罪の話をしておけばよかったと説いた。簗氏は「はい」と応じた。
茶番だ。公金を支持への見返りとして語った話が、挨拶の内容にまで縮んでいる。謝罪を済ませたら、また予算を取る仕事を皆で応援する。













