「帰ってきたかったんじゃないかと…」

――失踪の数日前に、スマホを取りに寝室に侵入して、それが奥様にバレて「キモい」「怖い」と言われて叩かれたという報道がありました。

22日の「死にたい」(とスマホに残していた日)の前ですね。嫁さんが混乱しちゃってて、その日にそんなことあったのかちゃんと聞けてない部分もあります。
そのあたりからピークだったんですかね。警察からLINEだけ解除したとかで、スマホの他の機能の部分は知らされてないんですよ。

――「あれくらいでやめておけと言っただろう」と奥さんに伝えており、虐待を認識していたとの報道がありますが、この言葉はどういう意味ですか?

それは3月1日の件ですね。行かないと約束していた2階で隼都を見つけた嫁さんに呼ばれて、家に戻って話し合いをして。その時はもう怒るでもなく「あと1年で島出るんだからいい気持ちで出ていくようにちゃんとしようよ」って。
嫁さんにも、これ以上責めるんじゃないよというつもりで「もうこの話はせんでいいよ」と言い残して私は仕事に戻りました。

18時半に仕事が終わって嫁さんに連絡したら「隼都がいない」と言われて、方々探しても見つからない。それで「ちょっと待てよ、もしかしてもう話はせんでいいよって言ったのに隼都にあの後も言ったんじゃないか?』って嫁さんに聞いたら「そんな話はしてないよ、見送りの準備もあって忙しかったし」って言われたんですけど。
でも余裕がなくて僕は頭ごなしに怒ってしまいました。そのセリフが「何か言ったんだろう! あれくらいでやめておけと言っただろう」で。それは文春さんにもお話ししました。僕の伝え方が悪かったのかもしれませんが、記者さんなりのストーリーになってしまったのでしょう。

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亡くなった椎名隼都さん(17)

――失踪中の目撃情報や捜索状況について教えてください。

失踪翌日の3月2日にうちの近くを歩いたという目撃情報があって、やっぱり帰ってきたかったんじゃないかと思いました。でも、1日の夜20時以降にはうちに警察が来ていて物々しい雰囲気で戻るに戻れなかったのかなと。
3日には一斉放送が流れて消防団数百人体制で捜索が始まった。

すごく記憶に残っているのは4日です。目撃情報があったのに、警察の取り調べで自分たちは捜索に参加できなかったんですよ。雷雨が鳴り響く嵐の日で、その日にもしかしたら命を失ってしまったんじゃないかと思うと悔しくて。