絵に描いたような幸せそうな一家だった

当時、平日の夕方はスーツ姿で決まった時間に帰宅していたという石川容疑者。内向的に見えたが、会えば挨拶もしたという。
店舗関係者は続ける。

「ある時から少しずつ来店の間隔があくようになりました。その頃の石川さんは人と喋るのも嫌といった様子で、目も合わせなくなりました。ずっと俯いて視線を逸らす感じです。もともとおとなしいのにさらに覇気がなくなっていましたね。
2018年の3月に来てから1年以上あいて2019年9月に来た時は、何かに追い込まれてるんじゃないかという雰囲気でした。こちらも根掘り葉掘り聞きませんでしたが、『精神的にちょっと参ってしまって』といったことを言っていました。それから平日の昼間も外で見かけるようになりましたし、痩せたり太ったりを繰り返すようになりました」

この頃から石川容疑者は徐々に社会との接点を失いつつあったようだ。

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石川容疑者の自宅

一方、被害者の平林さんは社会に居場所を探していた。平林さんは医療従事者の父親と、美人と評判だった母親の間に生まれた。当時一家が暮らしていた家の近隣住民が語る。

「小さい頃のさなちゃんはとても人なつこくて可愛らしかった。お父さんはお医者さんの家系で裕福でしたし、絵に描いたような幸せそうな一家でした。ですが弟さんが生まれて4ヵ月後くらいにお母さんが病気で亡くなってしまったんです。もともと体の弱いお母さんでした」

母親が亡くなってほどなくして家を売却、一家は府中市内に引っ越し、新たな生活が始まったという。父親はこれまで以上に仕事に励み、平林さんは幼稚園から私立に通い女子高に進学。高校時代は阿波踊りのサークルに入ったほか、2017年2月から星谷梨里花という芸名で『アオハルsince2015』という地下アイドルのグループにも所属した。

当時の所属事務所の運営スタッフが証言する。

「人間関係を作るのが苦手で居場所を求めてアイドルになったようでした。もともとは女優志望で芸能界に対する強い憧れもあったようですが、集合時間に遅刻をしたり、ダンスもあまり得意ではなかったため、グループ内で孤立していました。結局半年でグループから脱退してしまいました」

その後も自身の居場所を探していたのか、平林さんは秋葉原や原宿などを転々とし、メイドカフェやバーで働いたり個人撮影会(個撮)の仕事もした。しかし結局、うまく馴染めず、2019年ごろから歌舞伎町を訪れるようになった。

「人見知りな子でしたが、お酒がはいると陽気になってカラオケをよく歌ってました。歌舞伎町に呑まれちゃったのかな……。うちでも3か月だけ働いていたけど、他のお店に移ってしまった。寂しがりやな印象でしたね」(カラオケバー経営者)

歌舞伎町で平林さんと仲が良かったという友人が回想する。

「様々な夜の仕事をしていましたが、どれも最後は孤立して辞めてしまいました。コミュニティには勢いよく飛び込んでいくのですがなかなか理解されない、そんな子でした。最初、歌舞伎町に来た頃は家に帰らず勤め先の寮や、新宿のタワーマンションなどに住んでいました。人間関係をつくるのが苦手で、寂しさから夜の街で大金を使っていました」