戦争責任の意識も希薄な二人
勝次にも似たようなところがあります。『腰ぬけ愛国談義』での宮崎駿によると、
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「宮崎さん、五機つくって南方に送っても、着くのは一機だけだよ」とか、「五機同士でアメリカと日本の飛行機がすれ違うと日本は一機だけ残って、向こうは一機が薄い煙を吐くだけだ」とか、そういう話を散々聞かされたそうなんです。なのに、そういう情報と自分の商売とをまったく結びつけないで、とにかくつくりゃいいんだと思っていたようなんです。
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※半藤一利・宮崎駿『半藤一利と宮崎駿の腰ぬけ愛国談義』文春ジブリ文庫
というように現実感、大局観もなければ、
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ぼくの親父は戦争に負けたら負けたで、平気でアメリカ兵と友人になってそいつを家に連れてくるような男でした。そのときぼくは四歳だったんですが、アメリカ兵が家に来たとき、日の丸のついているオモチャの飛行機を、隠したことをはっきりおぼえているんです。チビのくせに、アメリカ兵がこれを見たらまずいとでも思ったのでしょうかね。なんでそんなことをしたのか、まったくわかりません。でも四歳のぼくは隠したんですよ。いずれにしても戦争前の、ぼくの記憶にない世界は灰色にしか思えなかった。ところが親父は「いやあ、いい時代だった」って言うんです。「浅草はよかった」とかって。かつてはこれが信じられなかった。
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※半藤一利・宮崎駿『半藤一利と宮崎駿の腰ぬけ愛国談義』文春ジブリ文庫
というエピソードや、
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親父は「戦争をしたのは軍部であって自分ではない。スターリンも日本人に罪はないと言った」などと言っていましたね(笑)。
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※半藤一利・宮崎駿『半藤一利と宮崎駿の腰ぬけ愛国談義』文春ジブリ文庫
という話もあるように戦争責任の意識も希薄です。
様々な一致からもわかるように、二郎の造形は勝次に重ねられています。宮崎駿は『風立ちぬ』で自分よりもむしろ父を描こうとしたのがよくわかります。もちろんあくまで『風立ちぬ』の最初の発想は、堀辰雄と堀越二郎を混ぜてみたら、というアイデアだったのでしょう。それが飛行機という結節点から、映画を作っていくうちに次第に父の姿を反映してしまったというのが本当のところではないでしょうか。