堀越二郎により強く重ね合わされているのは、
宮崎駿よりも父の姿
それを作れば、彼がやってくる。
『風立ちぬ』を作るなかで宮崎駿が見たものは、父の青年時代だったのではないでしょうか。堀越二郎には宮崎駿のみならず、その父も投影されています。
昭和史というテーマに取り組み続けた作家、半藤一利との対談本『半藤一利と宮崎駿の腰ぬけ愛国談義』のなかで、宮崎駿は「ぼくは堀辰雄と堀越二郎と自分の父親を混ぜて映画の堀越二郎をつくってしまいました」とはっきり証言しています。宮崎駿の私小説とも見られる『風立ちぬ』。僕も最初そのように見ていましたが、本人の証言のとおり、むしろ劇中の二郎により強く重ね合わされているのは、宮崎駿よりも父の姿なのではないでしょうか。
宮崎駿の父、宮崎勝次と二郎の共通点
まず、関東大震災と第二次世界大戦に直面した、同じ時代を生きてきたという点。
次に、妻が病にふせっているという点。勝次の妻、つまり宮崎駿の母は、宮崎駿が小学生から高校生の頃まで、ひとりで立ち上がれないほどの病気でした。このあたりの母親の思い出は、『トトロ』にも反映されていますね。
宮崎駿の母は菜穂子とは違い、その後快復しましたが、「結核で妻を亡くす」という体験は勝次も二郎と同じようにしています。実は宮崎駿の母は勝次の再婚相手で、初婚時の妻は結婚後まもなく結核によりこの世を去っています。このあたりは二郎と菜穂子の関係性に非常によく似ています。
そして最大の共通点は、どちらも戦闘機の生産に関わっていたということです。二郎は設計士として、勝次は工場長として。勝次は兄弟と一緒に、飛行機部品の製造会社である宮崎航空製作所を営んでいたのです。
戦闘機に関わっていながら、「戦争に加担している」という意識が希薄なのも、勝次と二郎に共通する点です。劇中、同僚の本庄は日本の現状について目を配っていますが、二郎にはそんなそぶりはありません。ただ目の前の大好きな開発の仕事に向かうだけ。