坂本一家で食べた初めての家族の食卓
苗村の所属するSRSボクシングジムには、男子3名、女子1名のプロボクサーがいる。軽量級の選手はおらず、スパーリングは主に出稽古で行う。筆者はふと、練習環境の改善を求めて、大手ジムや選手数が多いジムに移籍する選手も増えていることが頭によぎる。
リング上でも、また取材時も、坂本氏が苗村を大切にしている様子がうかがえる。しかしだからこそ、手元を離れていく不安も大きくなるのではないか。失礼を承知で尋ねると、「ああ、修悟にははじめから行ってもいいよと伝えてますよ」とあっさりと答えてくれた。
「そこは本人の意思に任せてますよ。(移籍に関する制限が切れる)ライセンス契約の更新期限についても伝えてますし、それも含めて包み隠さず話すのがコミュニケーションなんですよ。選手に対して悪いなと思ったときは頭を下げるし、何かを強制もしない。基本的には対等。移籍は裏切りでも何でもないからって伝えてます。むしろ俺は修悟にわざと『行け!』って言ってますよ(笑)」
あとで苗村に尋ねると、「SRSジムを辞めるくらいならボクシングを辞める」ときっぱり宣言する。苗村にとって坂本氏は恩師のような存在だ。リング外での大切な思い出もある。
「プロデビュー前に一度、坂本会長の自宅に夕食に呼んでいただいたことがあるんです。奥さんや娘さんと一緒に食卓に座って、奥さんの手料理を食べさせてもらったんですけど、本当に美味しくて。今までこんな美味しい料理食べたことなかったし、ああ、これが家族かって。自分もこんな風に、幸せな家庭を築けたらいいなって」
ただ一方で、強い恐怖心もある。「今まで誰かに思いっきり甘えた経験がないので、家庭の築き方が分からない」という。
「両親の愛情を受けられなかったのが今でもコンプレックスで。自分28歳なんで、もう甘える年齢でもないんですけど、ジムで親子でいらっしゃる会員さんとかみると、大人側の目線ではなく、子ども側の目線になるんです。『お父さんに可愛がってもらっていいな』と、ほんと小さくですけど、嫉妬の感情がどうしても湧いちゃうんです」