ベンチで酔って寝ている父親のそばを通って登校
「体は硬かったですね。でも昔のカンで出た右がちょうどハマりました」
対戦相手のタイ人は3ラウンドで斉藤の右カウンターを浴び、試合終了のゴングが鳴った。斉藤はコーナーで雄叫びをあげ、トレーナーとそっと抱擁しあった。花道で会場に来ていた自分の子どもたちを抱き寄せた。しかし、かつて第二の父親と思って従い、その後裁判で争った、以前所属していたジム会長の姿は見えなかった。
幼少期の父親は酒浸りで、家庭内暴力も珍しくなかった。貧しく、しばしば電気が停まり、借金取りも家に来る。ゴミ捨て場からまだ着られそうな服を漁って持ち帰ったこともあった。自分だけランドセルを買ってもらうお金がなくて、廉価なショルダーバッグを肩にかけて登校するのが毎日恥ずかしかったという。
「小学校の通学路で公園を歩くのですが、ベンチで酔っ払った父親がよく寝ていました。『あれ司君のお父さんじゃない?』と同級生に聞かれるのがめちゃくちゃ辛かったです」
当時人気のあった元世界王者・畑山隆則選手が、ファイトマネーで1億円を稼ぐのをテレビで見て憧れた。小学6年で地元千葉県のジムに入門。すでに両親は離婚して父親と離れて暮らしていたが、自分が強くなることで、これからも理不尽な暴力に負けずに生きていけると思った。
「ウチは男だけの5人兄弟で自分は4番目。女手ひとつで家計は貧しいままでしたが、1万円くらいするボクシングジムの会費は払い続けてくれました」
ジムには1日も休まず通った。大人のプロ選手に混ざって練習するのが楽しかった。
「初めてそこで大人たちときちんと接したことが大きかった。可愛がってもらえて、どんどん人間不信が解けていった」
中学2年の頃に転機を迎える。当時通っていた別のジム(以下、Aジム)が、寮を新設するというので入寮することになった。母親を交えた面談で、Aジムの会長は「自分が父親代わりとなってコイツを育てます」と言った。「ただ、二十歳までは帰らないと覚悟してください」とも。
これが地獄の始まりだった。