中畑が秘密裏に相談したふたりの人物
現在は自主トレや日本代表などで他球団の選手との交流が頻繁にあるが、当時はないに等しかった。そんな中で、中畑は同世代の仲間に密かに声をかけていった。当時は国労が健在で、ストライキを行うことも珍しくない時代。自身の野球人生の中でいわゆる労働組合と直接の接点はあったのだろうか。
「うちの実家は福島の酪農家だし、労組と直接の接点はなかったよ。でもね、団結の崇高さは感じていた。ニュースなんか見ていても労働者が自分たちの権利のために闘うストライキってのは必要だと思っていたね。特に野球はチームプレー、団体競技だから、この闘い方は必要だと感じていた。ただグラウンド外の団結についてはまったくの未体験じゃない。そこで労組を立ち上げる上で相談をした人物が二人だけいたんだよ」
それは誰なのか。
「ひとりは長谷川のじっちゃん。巨人の球団代表だったじっちゃんとは、ずっと腹を割って話せていたんだよ」
中畑は43歳年上の長谷川実雄球団代表を「長谷川さん」ではなく、「じっちゃん」と呼んだが、彼の名前が出てきたのは意外だった。
長谷川は読売新聞の記者出身で巨人の代表を20年に渡って勤めあげた人物である。江川卓投手の「空白の一日事件」のときも対応に奔走していたことで知られる。いわば、労使関係で言えば会社側の人間であるが、きわめて親身になってくれたという。ソファに座る中畑の表情が柔和にほころぶ。
「契約更改で毎年顔を合わせていたんだけど、おもしろい人でね。膨大な資料を机に積んで『中畑君、これを見るか? この資料、マイナス査定するために上がって来たものなんだよ』って言うんだ。『どうだ、見るか?』『代表、そんなもん私は見ませんよ』『そうか。私はキミがんばってくれていると思うんだが』ってやりとりが続いて。
こっちは、マイナス要因を言われて現状維持かと思っていたから『代表、月に10万円でいいから上げて下さいよ』と言ったらとじっちゃんは笑うんだ。『10万でいいのか? 20万あげてやるよ。君との契約更改は気持ちいいんだよ』そんな感じで選手の立場や気持ちをすごくわかってくれた人だった。
だから、この人ならと思って相談したんだよ。そうしたら、応援してくれてね。『選手の組合が実現したら、ものすごい変革になるぞ』と言ってくれた。じっちゃんは大きなお金が動くことを見抜いていたんだね。そこでひとつアドバイスをもらった。『絶対に内密にことを運べ』とね」
プロ野球選手が団結して労組をつくるという動きは、これより数十年前にもあった。別所毅彦(元南海、巨人)が中心になって結成に向けて動いたが、事前に情報が漏れて潰された過去を知る長谷川は中畑に情報漏洩の危険性について忠告していたのである。
中畑は「労組を立ち上げる上で相談をした人物が二人だけいた」と語ったが、もうひとりは誰だったのか。