世界で最も有名な肖像写真家

アニー・リーボヴィッツ──彼女の名前から一体何を思い浮かべるだろう?

あらゆるミュージシャンの表情をとらえたロックなカメラマン。
映画スターや経済人たちセレブリティ御用達のカメラマン。
最先端のファッションメディアで斬新なイメージを撮り続けるカメラマン。
政治や戦争の代償を切り取るジャーナリストとしてのカメラマン。
世界中を年中飛び回るスターカメラマン。
そして家族や風景といった素朴な写真を愛するカメラマン。

そのどれもが彼女の本当の姿であり、世界で最も有名な肖像写真家であることには間違いない。

アニーは1949年10月、大家族の三女としてアメリカのコネチカット州で生まれた。軍人だった父の影響で引越しが多く、そのたびに車に乗って移動した。

NYのマダムタッソーにあるアニー・リーボヴィッツの蝋人形
NYのマダムタッソーにあるアニー・リーボヴィッツの蝋人形
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幼い女の子は車窓というフレームを通して、人々や風景を観察していたのだろう。ベトナム戦争の赴任でフィリピンにも移り住んだことがある。高校生になると、アニーはサンフランシスコへ戻った。

時は1960年代後半。シスコの街にはヒッピーが集い、愛の思想を世界に広げようとしていた。そう、フラワームーブメントだ。

アニーは美術学校で写真を学ぶことになり、通りで反戦運動を撮ったり、アパートでロック・ミュージックに目覚めていった。

ちょうどその頃、シスコではヤン・ウェナーが『ローリング・ストーン』誌を創刊させる。

ジョン・レノンが撃たれる数時間前に撮った写真…「脱ぐことに抵抗があったオノ・ヨーコ、裸になったジョン」1980年12月8日午前、写真家が見た愛のかたち_2

自由な編集方針で書き手たちに好きなことを書かせて、ロック・ジャーナリズムの礎を築こうとしていた。アニーはすぐに編集部を訪れ、自分を売り込んだ。

必死で仕事をしていると、何とジョン・レノンのインタビュー撮影の機会に恵まれた。

20歳という若さ。無名のカメラマンの自分。そんな不安はすぐに現場で吹き飛んだ。ジョンは彼女を一人の人間として変わらずに扱ってくれたという。

数年後。
チーフカメラマンとなったアニーは、『ローリング・ストーン』誌を舞台に様々なミュージシャンたちをフィルムに収めていく。