カタールW杯日本代表メンバー26人のうち5人。“川崎”の選手の多さは際立っていた。
権田修一(33歳)、板倉滉(25歳)、三笘薫(25歳)、田中碧(24歳)は川崎市宮前区にあるサッカー少年団「さぎぬまSC」出身。権田はそこからFC東京のU-15に進むことになったが、板倉はあざみ野FCを経由して、川崎フロンターレのジュニア1期生に。三笘、田中、久保建英(21歳)もフロンターレの育成組織出身だ。
今回のW杯で、プロサッカー選手としてのルーツを川崎市に持つ選手が5人も選ばれたのには2つの理由がある。川崎市としての魅力と、川崎市に拠点を置くフロンターレの貢献だ。本記事ではそのなかでも川崎市で活動するさぎぬまSCの取り組みについて掘り下げていく。

権田・板倉・三笘・田中を育てたサッカー少年団「さぎぬまSC」代表が語る!「原点はフロンターレと街クラブの結束」<W杯日本代表に“川崎”出身が5人もいたのはなぜか?>
カタールW杯日本代表メンバー26人のうち、実に5人(権田修一、板倉滉、三笘薫、田中碧、久保建英)が“川崎”にルーツを持つ選手だった――。日本サッカー史においても特異なこの現象はなぜ起きたのか? サムネイル・トップ画像/川崎フロンターレ時代、2020年シーズンにJ1優勝を達成した田中(左)と三笘(右)
W杯戦士を4人も輩出
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「川崎の街のどこを歩いていても“いる”んですよ、フロンターレの選手って」
そう語るのは、Bリーグの川崎ブレイブサンダースの生え抜きで、12年目のシーズンを戦っている篠山竜青だ。かつては日本代表でもキャプテンを務め、日本バスケット界のアイコンとして活躍を続けてきた篠山の説明はこう続く。
「川崎市の駅でも商店街でも、ポスターやフラッグになったフロンターレの選手が目に飛びこんでくるんです。この街を歩けば、彼らを目にする回数が圧倒的に多くて。『どこにでもいるなぁ、フロンターレ』と感じます。もちろん僕らは大きな刺激を受けているのですが、まだ恐れ多くて『ライバルだ』とは言えません。目標であり、お兄ちゃんのような存在です」
それほどまでに街に根差した川崎のサッカーの歴史と可能性を語ることができる人物がいる。川崎市宮前区の少年サッカークラブ「さぎぬまSC」の澤田秀治代表だ。
さぎぬまSCの出身者には、17期生に権田、25期生に板倉、26期生に三笘、27期生に田中がいる。カタールW杯日本代表26名のうち、実に4人もの選手を輩出したのだ。なお、現在、フットサルサッカー日本代表で指揮を執る木暮賢一郎監督もこのクラブの出身者である。
昨今の少子化の影響もあってか、9年前には新年度に合わせて入団した生徒が年末の時点で4人しかいない、という危機的な状況に瀕したこともあった。しかし、クラブ出身の板倉、三笘、田中が昨年の東京五輪で活躍し、人気が沸騰。今年度は定員となる30人の枠が早々に埋まってしまった。
このクラブでは伝統的に、生徒の保護者が監督を務める。監督はいわば、ボランティア。澤田代表も、愛息が権田の1つ下の学年にあたる18期生として入団したため、コーチとしての活動をスタート。さらに、愛息の4歳下の愛娘も入団し、計10年にわたってコーチを務めた。その後もクラブに残り、やがて代表を任されるまでになった。
「さぎぬま幼稚園」に残る伝説
さぎぬまSCから4人もの選手を日本代表へ送り出せたのはなぜか? その理由は4つある。
1つ目が、卒業生が学生コーチとして戻ってくる伝統があること。フットサル日本代表の木暮監督も学生時代にさぎぬまSCのコーチを務めていた。卒業生たちがこのクラブの循環を支えているのだ。
2つ目が、さぎぬまSCならでの環境。このクラブの母体となるのがさぎぬま幼稚園だ。この幼稚園には“ある伝説”が残されている。愛息が18期生として入団してからの歴史しか体験していない澤田代表は、この伝説を語るとき、少し神妙な面持ちになる。
「私も見たことがなくて、聞いただけの話なのですが……うちの1期生や2期生たちがさぎぬま幼稚園でサッカーをやっていたとき、その“質”がものすごかったようです。普通、幼稚園生のサッカーといえば、ボールの周りに集まる、いわゆる“団子サッカー”になりますよね。
でも、当時のさぎぬま幼稚園の子どもたちはサイドをドリブルで駆け上がり、センタリングをあげて、ゴール前に走りこんだ選手が合わせるというサッカーをしていたらしく。幼稚園生でそこまでのサッカーができる子どもたちの受け皿が必要だ、ということで立ち上げられたのがさぎぬまSCだったというのです」
そうした伝統があるからか、コーチとして戻ってくる卒業生も、このチームに入ってくる新入生も、「さぎぬまSCで取り組むべきサッカーとはどのようなものなのか」という絵を描きやすかった。それが多くの優秀な選手を輩出する要因の1つともなった。
フロンターレと街クラブの盛んな交流
3つ目が、川崎という土地柄のメリットだ。澤田代表は言う。
「一流企業の上層部で働いている方もいらっしゃるので、年収的にも裕福な家庭が多くて。平日に(有料の塾のような)サッカースクールに通うような子もけっこういて。そういう環境もプラスに働いているかもしれませんね」
そして、4つ目がフロンターレの存在だ。
「川崎市のサッカー協会さんとフロンターレさんとが関わって、『アカデミープロジェクト』が今から10数年前にスタートしたんです。将来、川崎市で育った子供がJリーガー、要するにフロンターレの選手になれるように、という取り組みが活発化しました」
現在では、この「アカデミープロジェクト」という名称は存在しないが、それを発展させる形で川崎市の少年サッカーチームとフロンターレの関係はさらに強化されていった。特に大きいのが、フロンターレによる指導者向けの講習会だ。澤田がその恩恵を強調する。
「フロンターレさんのほうで『こういう練習をすれば、こういうスキルアップができますよ』とか『視野が広がりますよ』というようなことを指導者に向けて指導してくれていて。それを受けて、我々も練習メニューを組んで子供たちにフィードバックできています。川崎市出身の選手たちがこれだけ活躍してくれているのは、そこに原点があると思います」
フロンターレが川崎市の指導者たちに育成のノウハウを伝えるようになった。そのことが将来のプロ候補選手たちが若いころから質の高い指導を受ける素地を作り、川崎市全体の少年サッカーのレベル向上にもつながったのは間違いない。
取材&文/ミムラユウスケ 写真/Getty Images
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