
日本代表にフィットしたスモールボールのフィロソフィー~2021年東京五輪女子バスケ銀メダルの舞台裏#2
強豪国の選手に比べ、小柄なバスケ日本代表女子選手たち。そんなハンデがありながらも、トム・ホーバスヘッドコーチが導入したあるテクニックにより、成長著しく世界のカベを乗り越えていく。日本代表を進化させたスモールボールとは? 髙田真希が初著書『苦しいときでも、一歩前へ!』でその全貌を明かした。
髙田真希著『苦しいときでも、一歩前へ!』より #2
「スモールボール」思考
スモールボールで頻繁に求められる3ポイントシュートは、ゴールリングから6.75メートル離れた位置に引かれた曲線の外側から打たなくてはなりません。そのため、近距離からのシュートとは異なる体の使い方を求められます。筋力も不可欠ですが、それよりも大事なのはシュートフォームです。無理のないフォームを作らないと、3ポイントシュートの精度は上がっていきません。
私の場合、筋力は十分あったはずなのに、最初に打ち始めたときはボールがゴールリングに届かないという経験をしました。3ポイントシュートを決めるには、腕の力ではなく足の力も使う必要があります。正しいフォームによって、下半身の力をいかに上手に上半身に伝えていくのかが重要になるのです。
最初の数本はゴールリングに届いても、数を打っていくうちにボールが届かなくなることもあります。上半身と下半身の連動がうまくいかないと、筋力頼みになってしまい疲れがたまっていくのです。一方、連動がうまくいくと、数が増えていってもすぐに疲れることはありません。そのコツを習得するまでに、ある程度の時間が必要でした。
当初は代表チームが取り入れたスモールボールですが、今ではWリーグ全体にその流れが浸透しています。どのチームもスペーシングに力を入れ、センターが3ポイントシュートを打つ場面がよく見られるようになりました。
スモールボールは、小さい選手たちの多いチームが大きいチームに勝つための戦術です。現時点で世界に目を向けると、スモールボールを導入してうまく機能させているのは、女子バスケでは日本ぐらいではないでしょうか。そうした背景もあり、東京五輪での銀メダル獲得に繫がったのだと思います。
スモールボールを導入するまでは、センターの自分はゴールリング付近にいることが多く、スペースを確保するのに苦労していました。チームメイトの動きに合わせてパスをもらい、その直後にシュートを試みても、自分よりも背の高い相手チームの選手にブロックされたり、打っても外してしまうことがよくあったのです。
ところが、3ポイントラインまで動くようになると、状況は変わってきました。海外の選手たちは、身長の高い選手同士で対戦することが多いため、元々、日本のように身長の低いチームと試合をする経験はあまりありません。経験の少なさに加えて、目新しいスモールボールを実践することで、相手は今までにやったことのないディフェンスをしなければならなくなりました。
相手が慣れないうちに3ポイントを決めて混乱させ、次に3ポイントシュートをブロックしようとする相手の隙を突き、ドライブを仕掛けて得点をしていく……。代表チームとスモールボールは実によくマッチしたのです。

東京五輪で日本チームが華々しい活躍を見せたことで、これから行われる国際大会に向けて各国は日本対策を立ててくるでしょう。海外のチームはやはり「選手が小柄である」という日本の弱点を突いてくるはずです。つまり、ゴールリング付近のインサイドを徹底的に狙ってくるでしょう。
身長の高い者同士だと、徹底したインサイド狙いは通用しないケースが多いのですが、身長の低いチームを相手にしたときは有効に働きます。事実、東京五輪の決勝戦では、アメリカチームに徹底的にインサイドにボールを集められ、日本は失点を重ねました。今後各国は、こうした対策をしてくるでしょう。
そうなると苦戦が予想されますが、日本チームにしかできないプレーにさらに磨きをかけて世界の強豪に立ち向かう覚悟はすでに十分できています。
代表チームで必要なこと
バスケットボールではチームプレーが求められるので、チームメイトとのコミュニケーションは欠かせません。一緒にプレーするようになってからまだ日が浅い若い選手が相手の場合は、特に意識をして関係構築をしていく必要があります。
バスケ選手としてのキャリアが長くなるにつれ、代表チームの仲間たちは年下の選手ばかりになってきました。先輩としてチームをまとめていくために、若い選手たちには積極的に声を掛けるようにしています。代表への初選出で緊張していたり、戸惑っているようであれば、オリンピック経験のある年長者としてチーム全体の雰囲気を和らげ、なじんでもらうようにするのです。
初めての場で慣れないことをするのは、誰にとっても大変です。気持ちに余裕がなければ、いつまでも実力は発揮できません。初代表ともなれば、プレッシャーも感じているはずです。それを感じさせないような雰囲気を作るのが私の役目です。ただし、代表チームに召集された選手たちは、若いとはいえ優秀な能力を持つ選手たちなので、プレーについての助言は特にしません。
実際に私がしていたのは、「どんどん思い切ってやっていいよ」と声を掛けることです。声掛けに加えて、自分自身も率先して思い切ったプレーをし、若い選手たちに方向性を示すこともあります。代表に召集されるような選手たちは、こうしたメッセージの意図を素早く理解する能力に長たけています。それがわかっていたので、まずは自分が実践し、それを見てもらいながらチームへのアジャストを促していきました。
所属チームのメンバーとは違い、代表チームのメンバーとは普段から一緒にプレーしているわけではありません。それだけに、どれだけ短期間でチームを1つにまとめられるかがカギになります。ここで大切になるのが効率です。例えば、代表チームの雰囲気に慣れていないと、気が緩んだときに動きが鈍くなったりしてしまうことがたまにあります。こうなるとヘッドコーチのトムから、「もっと強いパスを出しなさい」「そのパスを受け取った人がシュートを打てると思いますか?」などの指摘が入り、練習が一時中断してしまいます。
こんなときに代表経験の長い私のような選手ができるのは、練習内容が変わるタイミングで先回りして注意点をチーム内で共有しておいたり、自らが機敏な動きをしてお手本を見せたりすることです。そうすることで練習の中断は避けられますし、時間のロスもなくなります。選手として指導者から受け取りたいのは、パス回しのような基本的な指導ではなく、より高度な次元での指導です。その高度な指導の回数を増やすことがチームにプラスなのは間違いありません。
若い選手たちも気を緩めようと思っているわけではありません。慣れない環境で余裕がなくなり、意識とは裏腹にいつもの行動ができなくなってしまうのです。そんなときに、さりげなくサポートするのが私のような年長者の役目と言っていいでしょう。
キャプテンは中間管理職!
トムの指導は真剣そのものでした。彼は本気で金メダルを狙っていたのです。そのためもあって、練習にはいつも熱が入っていました。トムが私にいつも言っていたのは、金メダル獲得に向けた熱意をキャプテンとして共有し、チームに伝えてほしいということでした。そう言われつつも、私には私なりの考えがありました。
キャプテンとしてリーダーシップを取るといっても、正直なところ、ヘッドコーチの要求を鵜吞みにし、言われたままに行動することを正解だとは思っていなかったのです。キャプテンではあるものの、その前に私は選手でもあります。その自分が、ヘッドコーチと同じ熱量で「あれだ、これだ」とチームメイトに言い続けたら、絶対に溝ができ、最終的に雰囲気が悪くなると予測したのです。
トムは〝熱を伝えてほしい〟と言い続けていましたが、私は自分なりに考えて、ヘッドコーチと選手たちの間の緩衝役になろうと決めたのです。トムの言うことをそのままチームメイトに伝えるのは、やろうと思えばできるでしょう。ただし、あまりそれをやり過ぎると若い選手たちは萎縮してしまい、本来持っている力が発揮できなくなってしまうかもしれません。私はそれを危惧しました。
こう考えたのは、私自身に萎縮してしまった経験があったからです。一部の選手が萎縮すると、全体のプレーの質は落ちますし、選手同士の関係にもマイナスの影響が出てきます。キャプテンとしての私の仕事は、そうならないようにチームの結束を維持することだと考えました。
ただし、ヘッドコーチはトムなので、彼の意向を蔑ないがしろにするわけにはいきません。練習を重ねていくうちに、トムがどこに注意点を置いているのかがわかってきたので、トム自身が選手たちに注意をする前に、気を付けるポイントを伝えたり、練習メニューの切り替えのタイミングでチームメイトと注意点を共有したりするようにしていきました。こうすれば、トムには「リーダーシップをちゃんと取ってるな」と映り、チームメイトからは「トムの言っていることをそのまま伝えているだけじゃないんだな」と受け取ってもらえると思ったのです。
もしかしたら私は、キャプテンというよりも企業の中間管理職に近い役目を果たしていたのかもしれません。
写真/アフロ
『苦しい時でも一歩前へ』
髙田真希

2022年3月30日発売
1,650円(税込)
新書判/208ページ
978-4-04-112245-7
中学校から本格的に始めたバスケットボール。貧血と診断され、練習でもひとり追いつけず苦しいことも多かった名門・桜花学園時代。複数のチームからオファーがあったなか、自ら選んだデンソーアイリスへの入団。日本代表主将としてチームをまとめ、バスケットボール界初のオリンピック銀メダル獲得。一方、30歳を機に立ち上げたTRUE HOPEでアスリート兼社長としての活動をするなど、精力的に様々なことに挑む高田のポジティブ思考の原点がわかる!