ゴールキーパーとストライカーの類似点

「失点は背負うべき十字架」権田修一にみる“正ゴールキーパーの矜持”_1
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「(シュートを止めるのに)それは必死ですよ。枠に飛んできたものはすべて、止めるしかない。さもないと、自分の存在感を出せないですし。例えばポゼッションを目指すチームだったら、それに長けている選手の方が有利ですが、自分は最小失点のところで戦わないといけないと思っているんで」

カタールW杯のドイツ戦、4本連続セービングなどで金星の立役者にもなったGKの権田修一は、その信条をこう語る。

もし仮にドイツ戦に敗れていたとしたら、自らが与えたPKで戦犯になる可能性もあっただろう。そう考えると、GKは損な役回りである。

手を使える特権を与えられた代わりに、失点の責任を全て背負う義務を負わされる。負けたら「あれは止められた」と心ない批判を浴び、常にミス探しをされる。

勝ったとしてもGKの貢献は目立たず、相手GKを奈落の底に突き落とした選手が「英雄」になる。なんという理不尽か。

「GKは何らかの形で失点に絡むもので。普段からそこからの切り替えはしっかりしているつもりです」

権田はドイツ戦を振り返って、毅然と語った。

「0−0でできるだけ行くというゲームプランが、PKを与えてしまったことで狂ってしまったわけですけど。(アルゼンチンを破った)サウジアラビアもそうでしたが、戦い切れば必ず勝機は巡ってくるので。(ドイツ戦は)後半にスペースが空いてきたら、チャンスは出てくると思っていました」

その言葉通り、権田は無心でチームを信じてゴールマウスを守った。失点を少しも引きずらなかった。悔しさは見せずに、むしろそれを燃料にして使い切ったかのようだった。

GKにとって、失点は背負うべき十字架のようなもので、それを下ろすことはできない。その重さをどう感じ、戦い抜けるか。無失点を続けられるGKは存在しないからこそ、特別なメンタリティが必要になる。

「失敗を糧にする」

それは大事だが、試合中は決してそこに執着してはいけない。忘れる、脳裏から払拭する、あるいは良い記憶に上書きできる特殊能力が求められる。さもなければ、一瞬の動きに迷いが出てしまい、失点を重ねることになる。

その点、GKは意外にもストライカーと少し似ている。失敗を修正するよりも、試合中はそれをリセットし、自分のプレーに向き合い、技術を100%出すことに集中。邪念や悪いイメージを断ち切れるキャラクターが必要だ。

だが、GKはストライカー以上に狂乱を身に纏っている。

どれだけ守り切っても、スコアレスドローでは「苦戦」と表現され、一抹の虚しさが残る。勝ってもスポットライトを浴びることはほとんどない。いや、それを求める人物はGKには向かないのだろう。責任だけを背負い、そこに矜持を見出せる者にだけ見える景色があるのだ。

「LOCO」

スペイン語で「イカれている」とGKが形容されるのは、少しも大袈裟なことではない。