カヌー・スラロームの羽根田卓也(34=ミキハウス)が4月15日から開かれる日本代表選手選考会(東京)で、5度目のオリンピックとなる2024年パリ大会を目指して再スタートを切る。2016年のリオ大会で銅メダルを獲得し、集大成として臨んだ東京大会は10位。それから半年間の熟考を経て、今年1月に現役続行を表明した。東京オリンピックで抑え込んだ思いを、漕ぎ続けるエネルギーにしている。
東京湾にほど近いカフェに自転車で現れた羽根田は、いつもと同じ語り口で、静かに言葉を選びながら、現役を続ける理由を説明し始めた。
「やっぱりパリまでが近いこと。それから自分の身体能力が維持できていること。今のところ大きなケガもなく、競技を続ける妨げになるような心配が少ないですからね」
「高梨沙羅選手の気持ちがよくわかった」カヌー・羽根田卓也が語った“東京五輪で抑え込んだ思い”
アジア人として史上初のカヌー競技オリンピックメダリスト・羽根田卓也(34歳)がパリ五輪を目指して再スタートを切る。これまで黙して語らなかった東京五輪での突然の「コース変更」、さらには半年間の熟考を経て現役続行へと至った思いを告白する。
現役続行に秘めた思い

撮影/松本行弘
オリンピックイヤーは4年ごとだが、新型コロナウイルスのパンデミックで東京大会が2020年から1年延期され、パリ大会は2年後の2024年に。東京大会のパフォーマンスをそのまま維持し、さらに向上させる狙いだ。
しかし、それよりも大切な要素があった。周囲の人たちの気持ちだ。
「自分の気持ちは常にいちばん後回しにしているんですよ。続けたいか、続けたくないかということよりも、周りが自分になにを求めてくれているのか、なにを期待してくれるのかということを、ぼくは気にして競技をやってきました。それを半年間、色々な方のお話を聞きながら探していたという感じで、やっぱり自分の居場所は激流の中なんじゃないかなと思ったんです」
カヌーで日本初、アジア勢でも初めてのメダルをリオ大会で獲得。その後はマイナー競技であるカヌーを一人でも多くの人に知ってほしいと、イベントへの出演要請をできるかぎり拒まず、メディアからの出演や取材の依頼にも応え、発信を続けてきた。
コロナ禍で通常の練習ができない中、自宅で植木鉢を使った筋トレや風呂で水をかく練習などをSNSで公開した。それは世の中がつらい時期にアスリートはチャレンジする姿を見せないと価値がないのではないか、と思ったからだ。
「昨年の11月、NHK杯に出場したのですが、その時のことがすごく大きかったですね。自分が漕いでいる姿を見て、楽しいとかうれしいっていう声をたくさんいただいて、こんなにも自分が漕いでいる姿を求めてくれる人がいるんだなあと感じました。一般の方や知り合い、SNSなどからもたくさんの声をいただいたので」
「正直、東京オリンピックまでは、自分にプレッシャーをかける意味でも、ホントにこれっきりだという覚悟でやってきました。でも終わったあとに『おつかれさま』って言う人はいなくて、『次はパリだね』みたいに言ってもらえた。そういう声をいただく中で、最後に自分で決断しました。どちらの選択がカヌーやスポーツの世界に多くのものを伝えられるか、次世代につなげられるかって考えたら、またパドルを握りなおさなければならないと思ったんです」
リオ大会以上の成績を目指して臨んだ東京大会は10位。「やり切りました。出し尽くしました」と振り返る。
「結果がどうだったからやり切ったとか、できなかったとかいうものではない。なんなら結果が出る前にもう僕は、やり切っていました」
実は羽根田には黙して語らずにいたことがあった。東京オリンピック直前のコース変更のことだ。
高梨沙羅“スーツ規定違反”に思うこと
オリンピックの競技が始まる2週間ほど前に、日本で初めて東京に造られた人工コース「カヌー・スラロームセンター」はブロックの配置が国際カヌー連盟によって大きく変えられた。水の流れは障害物や水深などの地形で大きく変わる。スラロームは流れや波の特徴をつかめばつかむほど有利な「地の利」がある競技だ。
特に羽根田は流れの特徴をつかむセンスのよさでターンなどの高い技術を活かし、パワフルな欧米勢に対抗してきた。自然の河川コースでは岩や川底を変えられない。人工コースではブロックを動かして流れや深さを変えられるが、試合直前での大幅な変更は本人も「これまでなかった。びっくりした」という事態だった。

4度目の五輪出場となった東京大会では決勝で10位。2大会連続でのメダル獲得はならなかった(写真/AFLO)
外国人選手はコロナ禍で変更前のコースで練習ができず、日本人だけ練習していては公平性に欠けるという判断だった。ある日本のカヌー関係者は言う。
「でも、日本選手もパンデミックの中で世界のトップが集まるヨーロッパに遠征できないハンディがあったんです。ヨーロッパではロックダウンが早々に終わり、オリンピックに向けて各国の強豪選手はいつも通りの強化をしていました。実戦経験か、地の利か、と選択を迫られ、地の利を選んでやってきた。その中での異例の変更でした」
地の利は消えて、初めての川でゼロから始める状態となった。
羽根田は公開練習後の取材で「驚いた」とコメントしたが、それ以上は触れなかった。
「試合前だったし、そこに神経を使わずに自分のパフォーマンスに集中したかったんです。それよりも、自分が懸けてきたオリンピック、大切にしているオリンピックだから、自分以外の事で気を使いたくありませんでした。自分が東京オリンピックに向けて積み重ねてきた日数や思いも、全部それになってしまうので」
今回、封じていた思いを話したのは、今年2月の北京冬季オリンピックでスキー・ジャンプの高梨沙羅がスーツ規定違反のため失格となった騒動に、気持ちを揺り動かされたからだ。
「コース変更のことは今さらほじくり返すこともないけれど、高梨選手の気持ちが分かるような気がしました。言いたいことがあるはずなのですが、それを言ってしまうとオリンピックが嫌な思い出になってしまう。だから選手本人は声を上げにくいんです。公の場で本当の思いを言うと、社会問題になってフォーカスが全部そこへ向いてしまいます。選手は言いたくても言えない、というか言いたくないんです」
「つい出てしまった一言が過剰な取り上げられ方をされ、その一言が自分のオリンピックの思い出になってしまう。声を上げるべきだとおっしゃる方もいるのですが、選手がそういった問題提起をするのは、本人にとっては酷なことかもしれません。それが五輪という、人生を懸けてきた舞台であれば、なおさら」
競技の翌日にSNSで引退をほのめかすような発信をするまで思い詰めた、高梨の胸の内を思いやった。
五輪で警戒されて「ある意味、誇らしかった」
コース変更で改めて思い知らされたのは、カヌー・スラロームはやっぱりヨーロッパ中心のスポーツだということだ。
「(日本人である)僕がメダルを取ったり、ほかの選手も力をつけてきているので、これはまずい、またヨーロッパからメダルを奪われてしまう恐れがある、と警戒されるようになったのだと思います。本当の弱小国だったら気にされないと思うので、ある意味、誇らしかったです。オリンピックの時は色々な思いがありましたが、勝負の厳しさを学んだと思って、それを次のエネルギーに変えないといけないですね」
高校卒業後に日本を飛び出して、単身でヨーロッパのカヌー強国・スロバキアへ渡ったのは、世界に追いつき、追い越すためだった。東京オリンピックはその初心や、これまで積み上げてきたことを再確認するきっかけになった。
これまではスロバキアに拠点を置き、シーズンオフもヨーロッパにいたが、今後は日本を拠点にする。
「1年中ヨーロッパにいて、なにかを学ぶ段階ではもうありません。この時期にどういうトレーニングをするか、海外の選手がなにをしているのかは、分かっています。日本に人工コースができたのはすごく大きいですね。これまでは日本でオリンピックのメダルを目指すというのは難しい環境だったんですが、日常的にトレーニングができるので」と実家のある愛知県豊田市から東京に拠点を移した。
もちろん羽根田らしくカヌーの普及にも目を向けている。
「これまでは競技を知っていただくことを一生懸命にやってきました。でも知ってもらったはいいけれど、どこに行ったらやれるの? となります。知ってもらうのとやってもらうのとでは全然違いますし、人工コースは僕たち選手だけのものではないので、たくさんの人に体験してほしいです」と話す。
「東京オリンピックを迎えるのがいい年齢だったので、そこでやり切って終わりかなと、東京以降のことはあまり考えていませんでした。34歳になっても期待されて、またオリンピックを目指すことができるというのは幸せですよね。これまで以上に頑張らないといけない」
羽根田の東京オリンピックは挑戦の終点ではなく、通過点となった。

撮影/松本行弘
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