––井上さんは指導者として、科学と非科学の両方を重視されていたことがわかりました。しかし、そのバランスを取るのは難しそうです。どのような手法を選択するかは、直感的に判断されるのですか。
時には直感もありましたが、多くの場合は、計画性を持った上で物事を進めていきました。しかし、世の中は想定内に動くものではありません。想定外のことが起きても、その状況を見極めて、しっかり判断していけるようにしていました。
––なるほど。しかし、想定外の事態だからこそ、見極めるのは難しい。特に新型コロナウイルスへの対応には苦労されたのではないですか。
そうですね。状況を見極めるために重要なのは、とにかく「現場に立つこと」だとコロナ禍で改めて感じました。つまり、生で選手たちの練習を見る、試合を見るということ。机上の空論になってはいけない。モニター越しに見るだけとか、文字だけの情報では感覚が鈍るのです。現場監督は、やはり現場に立ってなんぼです。
––近著『初心 時代を生き抜くための調整術』(ベースボールマガジン社)の中に、「選手の最大の強みは感覚」という言葉がありました。これは、選手時代から考えていたことでしょうか。
はい、選手時代もそう思っていましたし、スポーツを通じて常に感じていることです。柔道には、現場で戦わないとわからない感覚があります。相手ありきの競技であり、自分自身だけの動きでは成り立ちません。瞬間瞬間のひらめきや対応が、ものすごく重要です。
––他競技を見ていても、同じように「感覚が大事」だと感じますか。
たとえばラグビーでも、2015年に日本が南アフリカに勝った試合で、リーチ・マイケル選手が直観的にスクラムを選択したことで、歴史的勝利が生み出されたということがありましたね。スポーツは、そういうことがリアルに起こる世界なのだと思います。

「活躍することがすべてではない」柔道・井上康生が語るスポーツの究極の目的とは?
東京オリンピックに向けたチーム作りとして、「柱と細部」の両輪を固めることを目指してきた井上康生前監督。指導には、非科学・非効率的なことも必要だと語る。柔道における「感覚」のこと、そして指導者が学び続ける意義について聞いた。(トップ画像 roibu / Shutterstock.com)
「柱と細部」の指導術(後編)
必要なのは、現場に立つこと

日本を代表する柔道家である井上康生氏。世界柔道選手権大会(100kg級)では、1999年バーミンガム大会、2001年ミュンヘン大会、2003年大阪大会でそれぞれ優勝し、3連覇を達成。シドニーオリンピックでは柔道男子100kg級で金メダルを獲得した
考える前に体が動くように
––ある研究者の方から、「柔道という競技は、頭で考えていては遅い。考える前に体が動かないと対応できない」という話を聞いたことがあります。
まさにその通りだと思います。なので、日頃の練習の中で、いろいろなシーンを想定して体が反射的に動くように取り組んでいます。試合中に考えていたら、絶対に遅れをとってしまうので。
––すると、柔道選手というのは、試合中は無心なのですか。
いや、相手がこうきたらこうする、というのは最終的には頭で判断していると思います。また、試合が中断したり、寝技をかけているときには、その後の展開について考える時間があります。でも、立って相手と組み合っているときには、反射的に「こう、こう、こう」とオートマティックに動けるようにトレーニングしています。時々、自分自身が想定していない動きをすることもありましたよ。
––そのときは、良い結果に繋がるものなのですか。
うまくいくこともありましたが、もちろん課題として残ることもありました。いずれにしても、選手特有の面白い感覚だと思います。
––選手に求められる反射的な感覚と、現場の指導者として想定外の事態に対応する際の感覚。これは共通するものですか。
一緒ですね。練習や試合の前後に選手たちと話していても、感覚を重視する発言は多いです。だから指導する立場の人間として、選手の感性、感覚を大事にしてあげたいと思っています。
そして、これが大舞台で必要になると私は思っています。指導者としては、選手をいろいろなところへ導いてあげることも大事ですが、最終的には、主体性のある、自立した選手を作っていくのが理想ですね。
––リオオリンピック後に全柔連強化委員長となった金野潤さんが井上さんの指導現場を見て、「道場が静かなことに驚いた」とコメントされていたのが印象的でした。選手に対して怒鳴ったり叱ったりということは少ないのですね。
リオオリンピックの後には、いろいろなものがすでに構築されてきて、余裕があったということでしょう。なので、叫びながら何かをする必要はなかったです。
––一般的に、選手を罵倒したり怒鳴ったりする指導者は、指導に関する知識が足りず、それを補うためにそういう行為をする傾向があると言われます。
そういう考えもあると思います。ただし、私も必要なときには、練習内容を強調するなど、強弱はつけてきました。冷静な人間に見られることが多いですが、もちろんそういった側面だけではない。試合後に涙を流したり、喜んだりもしました。
ただし、危機的な状況でも、焦りや怒りは自分の中でコントロールするようにしてきました。特に試合前は、冷静なふりをしていましたね。

トップレベルの柔道の現場では、試合中のさまざまな展開を想定して、体が反射的に動くようにトレーニングしているという(出典元:Salty View / Shutterstock.com)
井上康生が考えるスポーツの目的
––井上さんは、指導者になる前に大学院へ進学されています。柔道界は、研究者あるいは博士号を持っている指導者が多い印象です。こうした点は、どのように柔道界に活かされていますか。
多くの研究者の方々のおかげで、日本柔道の競技力は確実に上がっていると思います。私も大学院へ行きましたが、私の場合はとても研究などと呼べるものではないかもしれない。それでも、なぜやったかというと、指導者として学ぶ心を忘れたら成長が止まると考えているからです。
––教える側も学び続けることが大事、ということですね。
そのとおりです。スポーツの価値というのは、「競技者としてどれだけ活躍したか」だけではないと私は思っています。引退後に、医学の道に進んだ選手もいます。最近では、世界チャンピオンになった女子柔道家の朝比奈沙羅選手は医学生として勉強をしている。ラグビー界でも、日本代表として長く活躍した福岡堅樹さんは医学の道へ進んでいます。
––企業や教育の現場で活躍されている方もたくさんいますね。
スポーツを通じて、学んだことを社会に還元していく。そして自分の人生を豊かにしていく。そこに、スポーツが持つ究極の目的があるように感じます。そういう世界が広まっていくことが、スポーツ界の発展につながっていくと私は強く思っています。
文・インタビュー/柴谷晋
写真提供/株式会社 office KOSEI、全日本柔道連盟科学研究部
参考文献/井上康生著『初心 時代を生き抜くための調整術』 (ベースボールマガジン社)
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