大阪桐蔭が目指す春夏連覇の難しさ

甲子園大会の長い歴史のなかで、春夏連覇はわずか7校しか成し遂げたことがない偉業である。今大会は、3度目の春夏連覇を狙う大阪桐蔭がベスト8に進んでおり、偉業達成に注目が集まっている。

大阪桐蔭、春夏Vの「必要条件」~甲子園「連覇」の戦略史~_1
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しかし、21世紀の高校野球で春夏連覇を達成したのは、2010年の興南と2012年・2018年の大阪桐蔭のみ。惜しいところで逃した学校ですら、2007年の常葉菊川(センバツ優勝、夏ベスト4)、2004年の済美(センバツ優勝、夏準優勝)の2校しかない。

2000年に圧倒的な打線で夏の甲子園を制覇した智弁和歌山でも、その年のセンバツでは準優勝だった(ちなみに2010年に夏の甲子園で準優勝、2011年のセンバツで優勝をした東海大相模は『夏春連覇』目前であった)。

この戦績を見るだけで、いかに春夏連覇が茨の道であるかがわかるだろう。本記事では春夏連覇に近かったのにもかかわらずそれを逃してしまった2校と、夏2連覇を果たした2004年から2005年の駒大苫小牧を分析し、高校野球における「連覇の条件」を考えていく。

圧倒的な強力打線と複数枚の投手陣で夏を制した智弁和歌山

まず取り上げるのは、強力打線を擁してその年の夏の甲子園を席巻した2000年の智弁和歌山だ。1997〜2002年の6年の間の智弁和歌山は、春夏合わせて優勝2回・準優勝2回・4強1回と圧倒的な強さを誇っていたが、1999年の夏は準決勝で敗退。

2000年のセンバツは切れ味鋭いスライダーで注目を集めた好投手、筑川利希也を擁する東海大相模に惜敗して優勝を逃したものの、夏はその悔しさを晴らし甲子園制覇を果たした。

智弁和歌山は世代問わず「強力打線」を擁する名門であり、西川遥輝(現・東北楽天ゴールデンイーグルス)や林晃汰(現・広島カープ)といった好打者を輩出している。そのなかでも、2000年の打線は2番の堤野健太郎から6番の山野純平まで、一発がある選手が揃っていた。下記が2000年夏の智弁和歌山戦績と主要選手の成績である。

・智弁和歌山(2000年夏)大会戦績
決勝  :智弁和歌山 11-6 東海大浦安
準決勝 :智弁和歌山 7-5 光星学院
準々決勝:智弁和歌山 7-6 柳川
3回戦  :智弁和歌山 11-7 PL学園
2回戦  :智弁和歌山 7-6 中京大中京
1回戦  :智弁和歌山 14-4 新発田農



・打撃成績
4 小関武史 打率.310 0本塁打 3打点
6 堤野健太郎 打率.556 2本塁打 8打点
3 武内晋一 打率.538 2本塁打 6打点
8 池辺啓二 打率.414 1本塁打 9打点
2 後藤仁 打率.458 3本塁打 6打点
9 山野純平 打率.481 3本塁打 13打点
7 井口暢仁 打率.333 0本塁打 2打点
5 青山祐也 打率.174 0本塁打 2打点
1 中家聖人 打率.364 0本塁打 2打点
控え 北橋真 打率.421 0本塁打 3打点

チーム打率.413



・投手成績
山野純平 33回 12奪三振 防御率1.91
中家聖人 21回2/3 11奪三振 防御率5.40
松本晋昴 1回1/3 3奪三振 防御率0.00

チーム防御率3.89

智弁和歌山が優勝をする直近の大会では、1998年に春夏連覇を果たした横浜(エースは松坂大輔)や1999年に夏の甲子園を制覇した桐生第一(エースは正田樹)のように、1人の圧倒的エースを予選から甲子園まで投げさせる戦略が一般的だった。

さらにさかのぼると、1982年に「やまびこ打線」と呼ばれた強力打線を擁した池田高校も畠山準や水野雄仁といった好投手に頼る采配をしていたし、翌年その池田を破ったPL学園も1年生の桑田真澄が1人で投げ抜いていた。

しかし、2000年の智弁和歌山は20世紀の優勝校にしては珍しく、複数の投手の継投によって勝ち上がっていた(似たようなケースで1987年のPL学園は野村弘樹、橋本清、岩崎充宏の複数枚の投手を擁して優勝した)。

実際、この夏の智弁和歌山はエース級の投手が不在だった。センバツで柳川のエース香月良太に投げ勝ち、決勝でも先発を務めたサイドハンドの左腕投手・白野託也は登板がなく、エースナンバーを背負った松本は、調子が上がらず長いイニングを任せられる状況ではなかった。