文脈で変わる「日本人」の境界

大坂なおみは日本人の母親とハイチ系アメリカ人の父親のもと、1997年大阪市に生まれた。姉の影響で3歳のときにテニスを始め、2001年に一家でアメリカに移住してから本格的にテニスに打ち込んだ。

大坂なおみが「一人の黒人女性」として差別に反対する背景_1

プロツアーの出場資格が得られる14歳になると、国際テニス連盟のツアー下部大会に出場するようになり、2013年プロに転向する。2016年に4大大会(グランドスラム)で頭角を現し始め、2018年には全米オープンでセリーナ・ウィリアムズを破り、グランドスラム初優勝を果たした。

続く2019年の全豪オープンでも初優勝すると、一時は世界ランキング1位となった。2020年には女子アスリート長者番付で世界一の称号を獲得し、再び全米オープンで優勝した。

日本生まれアメリカ育ちの大坂は、2019年まで二重国籍だった。世界の潮流とは異なり、日本の法律では二重国籍が認められておらず、22歳の誕生日までにいずれかを選択しなくてはならなかった。大坂は2019年10月に日本国籍を選択したので、「日本人初の快挙」と称えられた全米オープン初優勝のときには、国籍上は「日本人」でもあり「アメリカ人」でもあった。

3歳からアメリカで育ち、英語を第一言語とする大坂が2010年、13歳で日本テニス協会に登録したのは、父親の判断によるものだった。当時は全米テニス協会が彼女に興味を示しておらず、日本選手として登録する方が活躍の機会に恵まれるとの見通しがあったのだろう。

実際、彼女は2008年以降ヨネックスから用具提供を受け、2014年に同社とプロ契約し、2016年から2021年まで日清食品と所属契約を結んでいた。

大坂の日本国籍選択が日本で歓迎されたのには、金メダルに最も近いアスリートの一人だという期待も関係していた。