なぜ48歳のプロレスラー葛西純の試合は人の心を熱くさせるのか? 「俺っちは10年後が全盛期と思って生きているから。48歳のおっさんが普通にやっていても誰も見向きもしてくれない。だったら自分にできることは…」
その半生を描いたドキュメンタリー映画『狂猿』(2021)など、プロレスファンだけでなく、多くの人の心に熱いメッセージを伝えるプロレスラー葛西純。数えきれないほどのケガをして、傷を負ったボロボロの体でそれでもリングに上がる48歳に、闘い続ける意味を聞いた。(全3回の3回目)
“デスマッチのカリスマ”葛西純#3
「血を流すのはリングの上だけで十分」
「生きて帰ることがデスマッチ」の信念を抱く“デスマッチのカリスマ”葛西純。流血して背中に無数の傷を負いながらもリングから帰還することで、観客への「生きろ!」というメッセージを肉体で表現している。
命の賛歌を訴えているからこそ、2023年の今、葛西の中でどうしても伝えたいメッセージが生まれている。

左手のバンテージに「Against War」、右手にはスペイン語で「Picaro」と書かれている
「ロシアのウクライナ侵攻という、あまりにも理不尽で信じられない蛮行が現実になって…。俺っちは、この日本でテレビでしか現実を見ることしかできないけど、今、あんなあり得ないことが現実になって、生きたいのに亡くなっていく方々がいることを目の当たりにして…。
俺っちが何かを表現したからって、どうなるものでもないと思うけど、何かを伝えずにはいられないんです。だから『戦争なんかいらない』っていうメッセージを今、リングの上から伝えています」
昨年2月24日に勃発したロシアのプーチン大統領によるウクライナ侵攻。戦争による両国での死者数は数十万人と推計されている。「生きたいのに死ななきゃいけない」命を目の当たりにした時、葛西は試合で身につける左拳に巻くバンテージに「戦争なんていらねぇんだ」の思いを込めて「Against War」とマジックで書いてリングに上がっている。メッセージに込めた思いをこう明かす。
「血を流すのはリングの上だけで十分なんです。そんなことは日常生活ではあってはならないんです。『Against War』にそんな俺の思いを込めています」
ただ、観客を沸かせればいいと思っていた若手時代。伊東竜二戦、デスマッチトーナメントを経て「生きて帰ることがデスマッチ」の信念が生まれた。リングから「命」の賛歌を訴えた葛西は、今、現実にこの地球で起きている理不尽な戦争へ自らのメッセージを届ける。
エル・デスペラードを苦しめた3歳児死亡のニュース
トップに立つプロレスラーには観客を沸かせるだけでなく、様々なメッセージを伝える衝動が生まれるのだろうか。
「う~ん…それはレスラーによって違うと思いますよ。何も考えないでリングに上がっているヤツもたくさんいますし、もしかしたら、そっちの方が多いのかもしれません。ただ、俺っちは、自分がトップとかそんなことは思っていないけど、プロレスラーとしてリングで闘うだけじゃなくて、何かを伝えなきゃいけないと思っています。
その時々に現実の日常で起きたことに対して、『それは許せねぇ』と思うと伝えずにはいられない衝動が生まれるんです」
それはどうしてなのだろうか? その質問に葛西は即答した。
「それが葛西純なんです。そこに理屈や意味はないんですよ。それが葛西純っていうプロレスラーなんです」

デスペラード選手の試合前の言葉にもリング上で「許せねぇ」と伝えた
喜怒哀楽、すべての感情を肉体で表現するプロレスラー。葛西はデスマッチという究極の「非日常」で流血することで「日常」で血を流すことの不条理を訴えているのだ。ウクライナ侵攻のような現実に起きている理不尽な出来事を背負って闘っているのは葛西だけではない。
昨年9月12日、国立代々木競技場第二体育館で葛西と闘ったエル・デスペラードも同じだった。試合に勝利したがリング上で葛西から「死んでもいい覚悟なんて捨ててしまえ!」と突きつけられて号泣した試合後のバックステージで、デスペラードは苦しい胸の内を明かした。
デスペラードを苦しめていたのは、葛西戦の1週間前となる9月5日に静岡・牧之原市の認定こども園で3歳の園児がバスに置き去りとなり、熱中症で死亡した事件だった。自宅でこのニュースを知った時、憤りで激しく動揺したという。
現実社会で起きた理不尽な出来事を前に、心の葛藤を抱え込んで葛西と対峙したことを振り返った。
「軽々しく(試合前に)『死んでもいい』とか(ツイートして)…まだ俺、そんなレベルだったのかと自分の幼稚さに驚きました」
3歳で命を落とした園児がいる。にもかかわらず「死んでもいい覚悟」と口走った自分をデスペラードは素直に恥じた。葛西のメッセージが一人のトップレスラーを突き動かしたのだ。
そしてデスペラードは誓った。
「また必ずちゃんと成長してちゃんと鍛えて、もう1回必ず強くなって必ず葛西さんとやらせていただきます」
48歳、まだまだ10年後が全盛期
葛西は、デスペラードの告白をこう捉えていた。
「リングの上で死ねたらなんて言葉は俺っちは嘘としか思えない。何度も言いますけど、生きたくても死んでしまった方々が数多くいるんです。だから、俺たちは生きることを伝えなければならないんです。
試合後のデスペの言葉は、そんな俺っちの思いをわかってくれたなと思いました。試合では負けましたけど、戦前に約束していた彼の心を折ることは有言実行できたかなと思います。いい意味で彼の心を折れたと思います」
そして、こう続けた。

48歳になった今、「今が一番、体の調子がいい」という
「デスペが日常生活で精神的に追い詰められる中で葛西純と戦うことが救いになったのがうれしい。逆に俺も生きてやろうと思いました」
葛西もデスペラードとの闘いを経てさらなる進化を実感していた。
「デスペに語りかけながら俺っちも涙が出てきました。それは、自分でも表現できない感情で…悲しいとかうれしいとかすべての感情が入り乱れていました。それは今までのプロレス人生では味わったことのない、こみ上げてくる感情でした。
今年でデビュー25周年を迎える。年齢は9月9日の誕生日で49歳になる。それでもデスペラード戦で初めて味わった感情がプロレス人生に火をつけた。デスペラード戦の試合後にこうぶち上げた。
「この涙があればもっと強くなれる。葛西純の全盛期は10年後。まだまだ強くなって生きて生きて生き抜いてまたデスペラードとやるよ。今日が終わりじゃねぇ。今日が始まりだ」
10年後に全盛期を迎えるという叫びは、自らへの叱咤だ。
「今年で49歳になるんですけど。こっちも痛い、あっちも痛い…体力的に衰えるからどうしよう?って思いながらプロレスはできないんです。年齢なんて関係ない。そう思わないとお客さんを満足させるパフォーマンスはできないんです。それは、気持ちがあれば乗り越えられるし、肉体的な衰えも阻止できると俺っちは思っていますよ。
なぜなら、実際に10年前の葛西純より今の葛西純の方がコンディションもいいし、強いんです。年齢を重ねると衰えるなんて人間が決めたこと。人間が決めたことは人間が覆すことができるんです。
固定観念に捉われないのが葛西純。葛西はただの人間じゃないと思っているんで。10年後に全盛期を迎えますよ」
「人間って可能性の塊なんですよ」
葛西は、気持ちが肉体を超えると繰り返した。そんなことはあるのだろうか?と疑いたくなるが、葛西が抱える現実がその言葉に説得力を持たせる。現在、葛西は以下のケガを抱えている。
「頚椎椎間板ヘルニア」
「腰椎椎間板ヘルニア」
「左肩腱板損傷」
「左膝内側側副靭帯断裂」
「左膝前十字靭帯断裂」
「左膝半月板摘出」
「右膝前十字靭帯断裂」
「右膝内側側副靭帯断裂」
「右膝半月板損傷」
「右肘関節内遊離体」
「左足首靭帯損傷」
首、腰、両腕、両足…全身に重傷を負っている。にもかかわらずトレーニングは進化しているのだ。

小さなケガも含めるとまだまだ数えきれない
「ダンベルベンチプレスは、10年前は左右で80キロだったんですけど、今は100キロ上げられます。肉体は確実に進化しているんです。それは、年齢で人間は衰えるっていう固定観念を覆してやろうっていう気持ちが上回っているからだと思っています。人間って可能性の塊なんですよ」
10年後もデスマッチをやり続ける。
「プロレスラーって大きくて強いのが大前提だと思います。だけど、自分は体も小さいし見た目もイケメンでもない。身体能力も高いわけじゃない。そんな48歳のおっさんが普通のプロレスをやっていても誰も見向きもしてくれない。だったら自分の魅力を最大限に出せるデスマッチで表現できるのが一番いいと思います」
デスマッチにかける信念、そして誇りは揺るがない。
「普通のプロレスができないとデスマッチはできないんです。プライドを持ってやっています。プロレスって試合に人生が出ると思うんです。リング上の試合だけじゃなくて、これまでの俺っちのすべての人生を含めてお客さんが『葛西の試合は面白い』、『葛西は凄い』と受け入れてくれて、今の地位を築けたのかなと思います」
静かにほほ笑むと、こうつぶやいた。

「自分の生き様を表現できるのはデスマッチしかない。そして、これだけ危険なことをやっても葛西純は生きて帰ってきますよ」
傷だらけの体が歴戦の戦いの証…プロレスラー葛西純の写真集(すべての画像を見るをクリック)

取材・文/中井浩一 撮影/下城英悟
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