宇野昌磨(24歳、トヨタ自動車)は、柔和であどけない少年のようにも映る。
五輪で日本フィギュア最多の3つのメダルを手にし、世界王者にも輝いている選手だけに、少々の驕りや昂ぶりがあっても不思議ではない。
しかし自然体で飾り気がなく、リンクサイドで撮影するカメラマンも、「昌磨くんは隙があって可愛げがあるのに、切り替わる瞬間もあって被写体として好感が持てる」と言う。
必然の世界王者。宇野昌磨と「スケートを楽しめる異能」
フィギュアスケートの現場取材ルポや、小説も手がけるスポーツライターの小宮良之氏が、スケーターたちのパーソナリティを丹念に描くシリーズ「氷上の表現者たち」。第3回はスケートを「楽しむ」深淵にたどり着いた宇野昌磨のスケート哲学をひもとく。
氷上の表現者たち#3
リンクに立つことで生き様を見せる

健やかなのに匂い立つ色気もある。
「宇野昌磨の生き方はこうなんだ、っていう姿を見せたい」
宇野はそう決意を語っている。言葉での表現ではない。リンクに立つことで、彼は生き様を見せるのだ。
宇野は日本男子フィギュアを代表する一人である。平昌五輪では銀メダル、北京五輪では団体、シングルで銅メダルと、日本人最多のメダルの持ち主。2016-17シーズンから全日本選手権では4連覇を果たし、2022年の世界選手権では頂点を極めた。
ジャンプでは、今や4種類5本の4回転に挑む。その精度は着実に上がりつつあるが、現状に甘んじていない。
北京五輪後は、4回転トーループ+3回転ループという高得点を狙える大技の習得にも着手。4回転フリップを得点が1.1倍になる後半に、トリプルアクセル+4回転トーループという大技も他のジャンプに好影響を出すために練習に取り入れている。
もっとも、魅力はジャンプだけではない。
柔らかい体を弾ませ、丁寧に音を拾い上げる姿が際立つ。指先までなまめかしく動かし、エッジワークを深く刻み、極限まで体を倒す。上半身と下半身がパートナーのように対になって動き、そこに切なさや儚さや激情を生み出す。
これらは膨大な練習によって身につけたもので、その成長意欲にこそ、彼の本性が見える。
例えば2016-17シーズン、18歳だった宇野はあどけない表情を浮かべ、心が張り裂けそうな緊張が伝わったと同時に、分け隔てなく貪欲に学び取っていた。
グランプリファイナルでロシア人女子選手、エフゲニア・メドベージェワがジャンプすべてにあえて3回転トーループをつけ、難易度を上げることによって全体のジャンプを安定させ、コンビネーションを上達させる練習法を目にした時だ。
彼は即座にこれを取り入れている。そして年末の全日本で、初の王者になったのだ。
「自分の弱さに失望しました」
2019年の光と影は、宇野というスケーターの肖像を色濃く映し出すかもしれない。
2019年3月、それまで2シーズン連続2位で表彰台に上がっていた世界選手権で、宇野は4位に終わっている。
右足首のケガを隠して全日本王者になった後、四大陸選手権に強行出場して悪化させ、まともに滑れる状況ではなかった。しかし、本人は敗北から目を逸らしていない。
「自分の弱さに失望しました。“弱いな”と改めて思い知らされて。まずは、“トップと戦う実力がない”と言い聞かせ、成長して帰ってこなければ…」
宇野は涙を止められず、かすれる声で言った。同じ取材エリア内にあるテレビモニターには、王者ネイサン・チェンが記録的な高得点を叩き出す映像が映し出されていた。
残酷な対比だったが、彼は逃げていなかった。言い訳は一切吐かず、悔しい情景を己の目に焼き付けていた。
「今回の悔しさを、一日でも長く(続くように)刻みたい。短期間でも人は変われる。練習の基準を上げ、確率を高める。(自分に)一番自信があるのは、練習なので」
そう語る宇野は無念さに憔悴しきっていたが、目だけは光を灯していた。アスリートのそうした光景は、いつだって物語のプロローグになる。
宇野はそのシーズンを最後に、指導を受けていた山田満知子、樋口美穂子コーチの下を離れる決断をした。きっかけは本人の意志ではない。山田コーチから、「世界でトップのスケーターになりたいなら」と忠告があったのだという。
そして彼は旅立ったわけだが、新しいコーチとは巡り会えなかった。怒涛の如く、コーチ不在でのシーズンがスタートした。結果、かつてない不調に喘いだ。
11月、グランプリシリーズの初戦、フランス杯のショートプログラム(SP)で悪い予兆はあった。6分間練習からジャンプが悉く決まらない。完全にフォームを見失っていた。
本番でも4回転トーループで転倒しただけでなく、安定していたはずのトリプルアクセルまで失敗し、4位に低迷した。
フリースケーティング(FS)では反撃を誓ったが、今度はトリプルアクセルで2度も転倒。9位という結果で、総合8位に甘んじた。4シーズン連続で表彰台に上っていたグランプリファイナル進出を、この時点で逃すことになった。
「どん底を見た」
宇野本人の言葉だ。
スケートを楽しむとは何か?
しかし悪夢のような世界でも、彼は戦う意志を失っていなかった。苦戦したFSでも、苦手にしていた4回転サルコウに果敢に挑んでいる。ミスが続く中でも自らを叱咤し、少しも手を抜かずに最後まで滑り切った。
その必死さが胸を打ったのだろう。キスアンドクライで得点発表を待つ宇野へ向け、熱を帯びた拍手と合唱が沸き上がった。
「自分一人だったら、泣いていないと思います。あの演技であれだけの歓声を送っていただいて、その嬉しさというか。言葉では表現できない気持ちが出てきました」
涙を流した宇野はそう説明したが、観客と交わす熱い呼吸があった。
「どん底を経験したから、いつもと違う考えを持てるようにもなりました。練習から楽しくできるようになって。できたから楽しい、じゃなくて。跳べなくても、笑っていられるようになりました」
12月の全日本、宇野はすでにステファン・ランビエルコーチと出会っていて、リンクでの楽しさを取り戻していた。FSでシーズン自己ベストを記録し、逆転優勝を達成。
「楽しむ」深淵にたどり着いたのだろうが、それは誰もが行き着けるものではない。真の「楽しむは」、悔しさを覚え、それでも前進し、邂逅があって得られるものだ。
――「楽しむ」とは何か?
その問いに対し、宇野はリンクの外での彼らしく暢気に答えていた。
「うーん、(滑りの)調子が良くて、新しいことがどんどん、なんでもできそうな気持ち!」
ランビエルコーチは、「スケートを楽しめる異能」について以下のように語っている。
「(宇野)昌磨はスケートを楽しめる。厳しい練習の中でも、楽しさを感じられるのです。そして試合ではジャンプだけでなく他の技術点の部分などすべてで、アグレッシブな姿勢で滑ってくれる。それはコーチとしても喜びで」
宇野は自然体で、スケートに取り組んでいる。たとえ苦しんでいるときであっても、気取りはない。おっとりして見えるが惰弱さはなく、言い訳を許さないところに競技者の意地を感じさせる。
リンクの上で不平等はなく、ケガも不運も不条理も、すべてひっくるめて堂々と勝負に向き合えるだけの胆力があるのだ。
「自分から逃げる演技はしたくない」
2021年の全日本では怪我を抱えていながら、高難度のプログラムに果敢に挑み続けた。それで2位を勝ち取り、北京五輪出場をつかんでいる。
「いい演技とか、悪い演技とか、そこは運も含めていろいろからんでくるんだと思います。でも、自分から逃げる演技だけはしたくないと思っています」
スケーターとして戦闘態勢に入った時、その目は燃えるようで、普段の穏やかさとは一線を画す。抜いた刀を何度も振り、敵陣を突き進む苛烈さを感じさせる。ただし、敵意はかけらもない。
二つのメダルを獲得した北京五輪でも、宇野は年下の鍵山優真との親しさが報道されている。先輩風を吹かせていたわけではない。むしろスケーターとして鍵山を尊敬し、学ぼうとし、例えばセカンドループなどを積極的に取り込むと宣言しているのだ。
そして一つの結実があった。2022年3月に挑んだ世界選手権、宇野は見事に大会を制覇している。
FSで宇野は『ボレロ』の完成形を見せる。冒頭の4回転ループを淀みなく降りると、サルコウ、トーループ、フリップと4回転ジャンプを次々に成功。
トリプルアクセルも飛距離が長いジャンプで着氷し、スピン、ステップはすべてレベル4だった。SPに続いて自己ベストの202.85点で1位。総合312.48点で、圧勝で世界王者となった。
「僕は負けず嫌いではあるんですけど、自分のためだけにスケートをするのが得意じゃなくて」
宇野は訥々と言う。
「でも近しい人のためなら、どういう演技で満足してくれるのかわかっているので、リラックスしてできるのかなと思います。ここ数年、なかなか成績が出ないなかでも応援してくださった皆さんや、自分が何もできていない時にお世話になったステファンのために、素晴らしい成績を残したいというのがあって」
彼が世界王者になったのは必然だったと言えるだろう。
無邪気さの中に燃えるような心はある。しかし、そこに敵意は見えず、競争心も薄い。一心にスケートと向き合いながら、自らは苦しさから逃げず、そこに滲み出る楽しさに身を浸し、ふわりと浮き上がるように境地へ達する。
宇野昌磨という生き方を示すことで、世界王者に到達したのだ。
「優勝してうれしいんですけど、感極まって涙を流すことはなかったのは、もっと成長したい、ゴールはまだ先にあるのかなって。それが何か自分でもどこで何かわからないですけど。だからこそ、涙は出なかったんじゃないかなと思います」
宇野の生き方は、真っ直ぐで濁りがない。その純真さが引力となり、観客を渦に巻き込む。そこに彼の「世界」が広がるのだ。
写真/AFLO
新着記事
【こち亀】まじめ人間・大原部長が競馬!? 両さんにバレて…
「なかには13歳の少女も」1万円以下で春を売るトー横キッズから20代のフリー街娼、30代のベテラン立ちんぼまで―歌舞伎町の案内人とめぐる「交縁」路上売春の最前線
ルポ 新宿歌舞伎町 路上売春 ♯3

『フォレスト・ガンプ』と同じ1994年に公開された『パルプ・フィクション』。随所に散りばめられた遊び心と巧みな構成は、マニア受けするダークヒーロー的存在だ!
Z世代の落語家・桂枝之進のクラシック映画噺17
