前編はこちら

Jリーグ30年の歴史の中で、いまもなお伝説の試合として語られる2003年11月29日、横浜国際総合競技場でのジュビロ磐田戦。背番号8の遠藤彰弘らF・マリノスの先発メンバー。この後、信じられないラストを迎えることになる。(写真/©J.LEAGUE)
すべての画像を見る

那須大亮とのコンビに驚いた、岡田体制初戦のジュビロ戦

いつの間にかルーズになっていたものを、その人は許さなかった。

2003シーズン、横浜F・マリノスの指揮官に日本を初めてワールドカップの舞台に立たせた岡田武史が就任する。ボランチとして不動の地位を築いていた遠藤彰弘は、27歳とちょうど脂が乗っていたころ。まず指摘されたのは練習に取り組む姿勢であった。

「例えばグラウンドを走るときにコーンの内側を回ってちょっとズルするだけでも怒るんですよ。『ちゃんとやれ!』と。僕も(奥)大介も(上野)良治さんも、みんなよく言われていましたね。細かいところから直されて、僕も(意識が)変わりました。当時のマリノスはやっぱりスター集団みたいなところがあって、いろんなことがどこかアバウトでした。岡田さんはそこをビシッと言ってきて、アバウトな部分を消していった。きっちりするようになったことで、サッカーそのものに対して、もっと向き合えるようになりましたね。岡田さんのおかげです」

その岡田から、あるミッションが下されていた。

鹿児島実業の後輩で駒澤大学に在学しながらJリーガーとなった那須大亮の面倒を見ろと言わんばかりに、最初の鹿児島・指宿合宿では同部屋、以降は移動のバスでも「那須の隣に座るように」との指令が下った。那須はセンターバックを本職としていて、ポジションもかぶらない。クエスチョンマークを浮かべながらも、気づくことがあれば何かとアドバイスを送るようにはした。

「那須はディフェンスの選手ですし、足もとの技術が上手いという選手ではなかったので、すぐ試合に出るってことはないだろうなと思いながらも、一応、優しくは教えたつもりです。そうしたら開幕戦(対ジュビロ磐田、3月21日・エコパスタジアム)でアイツが先発で行くとなって。それもボランチで。そりゃあびっくりしましたよ。ディフェンス専門のような特徴の選手をボランチに上げるっていう発想はこれまでの自分にはなかったので」

ずっとパートナーを組んできた上野とのコンビは解消となり、ボランチ未経験の後輩センターバックが自分の隣に入ることになった。「優しい先輩」のままではいかなくなった。

ぶっつけ本番の相手が前年王者のジュビロ。もしここで下手な試合をして負けてしまったら、尾を引く可能性だって十分ある。遠藤は、那須に対してこう要求した。

「お前はボールを持たなくていい。オフェンスのところは全部俺がやるから、ディフェンスだけやってくれ」

岡田に言われたわけではない。自分たちで取り決めた役割分担。苦し紛れの策ではあったものの、これが奏功する。試合開始から7分、攻撃の意識を強めた背番号8はドリブルで持ち上がっていくと、そのままシュートを選択して先制ゴールを奪った。

「ボールを持って、左右どっちに行こうかとギリギリまで考えていたら、ジュビロのマコ(田中誠)が先に動いてくれたので逆に行けたんです。自分が点を取るイメージは全然なかったんですけど、(シュートの)コースが見えて、これは打つしかないと思いました。ゾーンに入っていて、どう打とうというよりも思い切り振り抜いただけでした」
 
遠藤のゴールがチームを活気づけ、2分後には佐藤由紀彦が追加点を奪う。その後、ジュビロに追いつかれたものの、後半に入って奥、マルキーニョスのゴールで突き放し、4-2で快勝した。前年のチャンピオンに力勝ちした実感は、手応えという表現では足りないほどだった。

「当時のジュビロは強敵も強敵。メンバーだってエグい。その相手に対して、試合を支配されてカウンター1発で勝ったような内容じゃないし、逆に自分たちで支配して勝つことができた。僕だけじゃなくて、みんな自信を持ちましたよ」

新しい相棒となった那須にも感謝した。役割分担を忠実に実行してディフェンスに専念してくれたことで、後ろを気にしないで攻撃に参加できたからだ。