警視庁の捜査が進むも、いまだ真相解明とはほど遠い市川猿之助一家の心中事件。
しかし、歌舞伎界は過去にも世間を震撼させる事件に多く見舞われてきた。
なかでも1946年に起こった“十二代目片岡仁左衛門一家殺人事件”は、その凄惨さでは群を抜いている。
江戸時代から続く名跡・仁左衛門だが、十二代目も若いころは美形で鳴らした人気の役者だった。そんな仁左衛門の家に住み込みで働いていた22歳の男(脚本を書く“座付き作家”見習い)が、63歳の仁左衛門とその妻、2歳の息子、そして住み込みで働いていた69歳の女性と12歳の自身の妹を薪割りオノで殺害、現金を盗んで逃亡するという事件が起こったのだ。
その後、逮捕された男は「食べ物を与えられなかった恨み」と犯行の動機を供述。名門歌舞伎一家の“内情”も含め、この惨殺事件は連日のように新聞などで報じられ、大きな関心を集めた。
猿之助一家心中事件をも超える「歌舞伎役者一家5人惨殺事件」。中村芝翫、松本幸四郎、市川團十郎…女性スキャンダルは枚挙にいとまなく〈梨園ハラハラ事件簿〉
市川猿之助(47)=本名・喜熨斗孝彦=が両親と心中を図り、自分だけが生き残った事件で警視庁は6月27日、母の延子さん(享年75)の自殺をほう助した疑いで猿之助容疑者を逮捕した。人気歌舞伎俳優が逮捕されたことで澤瀉屋をはじめ歌舞伎業界は大混乱に陥っている。しかし、歌舞伎界は過去にも世間を震撼させる事件に多く見舞われてきた。
戦後に起こった“猿之助一家心中事件”以上の悲劇
付き人の男性と駆け落ちした人気女形
歌舞伎役者たちは色恋スキャンダルでも世間をさんざん騒がせてきた。
1938年には六代目中村歌右衛門(当時は中村福助22歳)が付き人の男性と北海道に駆け落ちする騒動が起こっている。
歌右衛門は当時若手歌舞伎俳優のホープといわれた人気女形でもあったため、この“愛の逃避行”は新聞のトップを飾るなどセンセーショナルに報じられた。
関係者によって発見されて連れ戻された歌右衛門は、その後、“女形の最高峰”と呼ばれるようになり、役者道を全う。2001年に84歳で亡くなっている。

付き人の男性と愛の逃避行をした中村歌右衛門(写真/共同通信社)
月刊誌「特集人物往来」(昭和31年3月号)では、この駆け落ち騒動が歌右衛門に及ぼした影響をこう記していて興味深い。
「女形の世界では、これが、それほど不思議なことではない。大部屋の女形には、男との色恋沙汰など、しょっちゅうある」
「男に惚れることがおそらく歌右衛門の場合その芸を伸ばすための肥料ではないかと思う。そう考えれば、駆け落ち事件もやはり芸の上でプラスとなったのかも知れない。彼の舞台は事件以降、非常に進歩した」
たしかに梨園では「色事は芸事に通じる」「女(男)遊びは芸の肥やし」などと言われてきた。しかし、時代は昭和から平成、そして令和と移り変わるなか、梨園の常識は次第に世間に通用しなくなっていく。
中村勘九郎に中村芝翫…奔放だった名優たちの記録
とはいえ、おのれの道を突き進む昔気質の歌舞伎役者もまだまだいる。
1994年9月、「宮沢りえが手首を切った」という衝撃情報が芸能マスコミを駆け巡った。その原因とされたのが当時宮沢と交際が噂されていた人気歌舞伎俳優、五代目中村勘九郎(2012年逝去、十八代目中村勘三郎)の存在だった。
「宮沢はその2年前に貴花田(現、貴乃花光司)と婚約、電撃破局が世間を騒がせました。そして一連の出来事について勘九郎(当時)に相談するうちに深い仲になったといわれています。
とはいえ勘九郎は家庭があり不倫の関係で、しかもふたりとも超がつく有名人です。別れ話を苦にした末の宮沢の行動だといわれました」(当時事件を取材した週刊誌記者)
その後、宮沢は「泥酔していてコップで切った」とケガの理由を言い繕い、勘九郎も不倫を否定する会見を行った。真相は不明だが、いずれにしても“モテ男”の勘九郎は亡くなるまで太地喜和子、石川さゆり、大竹しのぶ、米倉涼子、椎名林檎など数多くの女性と噂された。

『中村勘三郎 最期の131日 哲明さんと生きて』(集英社)
ちなみに勘九郎の次男・七之助は、2005年に「十八代目・中村勘三郎襲名を祝う会」の帰りに泥酔してタクシー代を払わずに逃走、追跡する警官に暴行を加える事件を起こしている。
一部週刊誌によると、パーティー後は(十一代目)市川海老蔵(現、十三代目市川團十郎)らと3時間にわたって六本木のキャバクラで豪遊していたようだ。その脇の甘さが父の面目を潰してしまうとは……。
何度、醜聞をさらしても学ばないのは、八代目中村芝翫だ。襲名直前の2016年9月、京都の人気芸妓との密会を皮切りに、2021年1月、そして同年の年末と3度の不倫が報じられている。
最初の報道のときこそ「夫婦で深く反省しております」と芝翫の不貞をともに受け止める言葉が“神対応”と話題になった妻の三田寛子だが、仏の顔も三度まで? 現在は別居中とも伝えられている。
2015年に逝去した十代目坂東三津五郎は寿ひずると結婚したものの近藤サトとの不倫が発覚。その後、泥沼の離婚裁判を経て近藤と再婚したが、1年7か月で離婚している。
松本幸四郎と市川團十郎の若気の至り
梨園といえば、隠し子も多い。
十代目松本幸四郎は大学生だった18歳のとき(当時は七代目市川染五郎)、6歳年上の元女優との間に子どもをもうけていたことが1997年に発覚した。だが幸四郎はその後も梨園を巻き込んだ、とんでもないスキャンダルを起こす。
「幸四郎は隠し子発覚の半年ほど前に、寺島しのぶとの交際が報道されたばかりでした。そのため周囲は寺島に“幸四郎と別れるよう”説得したのですが、寺島は受け入れず、交際を続行したのです。
ところが2003年、幸四郎は記者会見を開いて高校時代からの友人女性との結婚を発表。もちろん寺島はそんなことは知らされておらず、相当なショックを受けたといいます」(芸能記者)

市川染五郎時代の書籍『市川染五郎 人生いろいろ染模様』(世界文化社)
しかも寺島の父は名門音羽屋の七代目尾上菊五郎だ。一方、幸四郎の父は高麗屋の松本白鸚。当然、音羽屋と高麗屋は犬猿の仲となったが、のちに白鸚の謝罪によって和解したという。
このように色恋沙汰はともすれば門閥どうしの争いにもなる。そして梨園の歴史は複雑な婚姻関係、養子縁組で構成された世界でもあるのだ。
近年、世間を大きく騒がせた歌舞伎役者のスキャンダルといえば、2010年に十三代目市川團十郎(当時、十一代目市川海老蔵)が巻き込まれた暴行事件。酒の席で「俺は人間国宝だぞ」などと声高に叫んだり、灰皿にテキーラを入れて飲ませようとしたりして、元暴走族の怒りを買って暴行を受け、痛々しい姿で会見を行ったのは記憶に新しい。
女に酒に、とまさに歌舞伎界屈指の問題児だったが、妻、小林麻央の病死やふたりの子どもの成長、自身の襲名もあって、現在は真っ当な生活を送っているようである。
女性問題で絶縁状態だった
香川照之と父、二代目市川猿翁
そして今回の“猿之助一家心中事件”と少なからず関わりのある二代目市川猿翁も女性問題を抱えてきた。
1965年、元タカラジェンヌの浜木綿子と結婚し長男(香川照之)をもうけるも、香川がまだ1歳のときに初恋の人だった16歳年上の藤間紫(当時既婚者)と出奔。
その後、紆余曲折を経て2000年に猿翁と藤間は入籍するが藤間は2009年に逝去する。浜に引き取られた香川は猿翁とは絶縁状態だったが、生前の藤間はふたりの和解を望んでいた。
その願いが叶って猿翁と香川は和解。香川とその息子の政明は2012年に九代目市川中車と五代目市川團子をそれぞれ襲名。
そして同時に叔父にあたる猿翁からその名を引き継いだのが、現在の四代目市川猿之助だ。

市川猿之助(右から2番目)、市川中車(左端)ら澤瀉屋の面々
「この襲名で猿之助は澤鷹屋一門を率いる立場になりました。
さらにいとこの香川の存在に触発される部分もあったのか、歌舞伎だけでなくテレビドラマやバラエティにも進出。人気、実力ともに歌舞伎界でもトップクラスとなっていった。
しかし、猿之助と香川にとっても絶頂期だった2022年8月、香川の銀座ホステス性加害問題が発覚したのです。
猿之助さんは落胆し、また、嫌悪感を隠さなかったそうです」(前同)
そして自身にもパワハラ・セクハラ問題が持ち上がり、今回の“心中事件”につながってしまったともいえる。
歌舞伎は血統や家柄が重視され、世襲制度によって代々引き継がれてきた伝統芸だ。「個人」の技量や人気だけでなく、「家」の歴史や格式もまた重視される世界。
そんな梨園の特殊性が、こうした数々の事件たちと無関係ではないはずだ。
取材・文/神林広恵
集英社オンライン編集部ニュース班