30年の芸歴と関西パワーを、
しっかとお見せしまっせ

上岡さんといえば「探偵!ナイトスクープ」(ABC放送)、「ノックは無用!」(関西テレビ)などの人気番組で司会者として活躍。

活動の拠点はおもに関西で「東京の文化レベルが低い」「東京は田舎者の集まり」と発言するなど東京嫌いを公言し、なかなか東京進出をしなかった。

ところが、1990年2月よりレギュラー番組として放送が開始された「上岡龍太郎のもうダマされないぞ!」(フジテレビ)で東京に進出。放送開始と同じ年に発売された「週刊明星」(1990年8月23・30日号)にて、その意気込みをこう語っている。

【Dr.チョコレートで怪演】斉藤由貴が、尾崎豊、川崎麻世、50代医師とのダブル不倫など浮き名を流し続けても致命傷を負わない理由。「わたし、たくさんのあやまちを犯してます」発言_1
「週刊明星」1990年8月23・30日号より
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〈大阪を中心に活動してますがこれからの目標は日本全国中に毒舌飛ばしていくつもりです。30年の芸歴と関西パワーを、しっかとお見せしまっせ〉

東京進出以降、その支持は全国に広がっていき、在京各局でレギュラー番組を獲得。引退する2000年まで“テレビの顔”として君臨した。

引退の際のフジテレビの番組内では、「僕はね、『妻・ゴルフ・マラソン』この3つで老後を過ごそうと思ってるんですよ。未練も寂しさも悲しさもそういうのはまったくない。どっちかというと喜びのほうが多いですね」と語っており、愛妻家としても有名だった。

「奥様は上岡さんが“横山パンチ”(横山フック、横山ノックとともに組んでいた『漫画トリオ』時代の芸名)と名乗っていたころからのファン。上岡さんが『君は僕と結婚する』『君は僕の奥さんになる』と口説いて結婚したのは有名な話です。献身的な奥様で、結婚後、番組収録やプライベートで着る服はすべて奥様がコーディネートをしていたそうです」(芸能ライター)

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若かりし上岡さんと夫人 (「週刊明星」1978年5月7日号より 撮影/林晋)
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玄関が8階にあり、7階のダイニングへと螺旋階段で繋がっていたという(「週刊明星」1978年5月7日号より 撮影/林晋)

上岡さんは「週刊明星」(1978年5月7日号)にて、当時のマイホームを公開。メゾネットタイプの高級マンションには9つの部屋とお洒落ならせん階段があり、そんな豪邸で奥様とともに微笑む姿が掲載され、話題を呼んだ。

【Dr.チョコレートで怪演】斉藤由貴が、尾崎豊、川崎麻世、50代医師とのダブル不倫など浮き名を流し続けても致命傷を負わない理由。「わたし、たくさんのあやまちを犯してます」発言_3
写真/共同通信社

芸能界引退後は公の場にほとんど姿を見せることはなかった上岡さんの葬儀は、本人の希望により限られた身内のみの「密葬」でおこなわれた。

突然の訃報に芸能界からは追悼のコメントが続々と寄せられ、みなが故人との別れを惜しんでいる。
 

【Dr.チョコレートで怪演】斉藤由貴が、尾崎豊、川崎麻世、50代医師とのダブル不倫など浮き名を流し続けても致命傷を負わない理由。「わたし、たくさんのあやまちを犯してます」発言_4
「週刊明星」1978年5月7日号(集英社)
【Dr.チョコレートで怪演】斉藤由貴が、尾崎豊、川崎麻世、50代医師とのダブル不倫など浮き名を流し続けても致命傷を負わない理由。「わたし、たくさんのあやまちを犯してます」発言_5
「週刊明星」1990年8月23・30日号(集英社)


取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班