「猿之助は5月15日に女性セブンの直撃取材を受けて厭世気分になり、両親に打ち明けた。歌舞伎や芸能の仕事もやり切り、趣味のギャンブルも満喫して現世に未練がないという猿之助と、10年以上肝臓がんを患いステージ4まで進行していた父の段四郎、その介護に疲れ果てた母、家族全員の『思い』が一致したことで心中を決意した。
17日の夜には、猿之助が処方してもらって大量に余っていた睡眠導入剤を飲んで寝床に入った両親は『来世で会おう』と意識を失った。猿之助は両親の顔にビニール袋を被せ、こと切れたことを確認するとビニール袋を外した。そして18日午前7時ごろに松竹に『体調が悪いので今日の公演は休みます』と電話を入れた後、自らも睡眠導入剤を飲んで自室のクローゼットに籠り、首吊りも試みたが死には至らなかった……これが猿之助が警視庁に説明している経緯のようです」(社会部記者)
「両親の顔にビニールを被せ…」市川猿之助(47)新供述も証拠の“ブツ”は捨てられ灰になった!? 澤瀉屋の長老(93)が語る「團子坊ちゃんは澤瀉屋の未来を背負って立つ」「中車若旦那は一門を集めて…」
歌舞伎俳優・四代目市川猿之助(47)=本名・喜熨斗孝彦=と両親が自宅で自殺を図り、両親が死亡した事件から5月25日で1週間。女性誌にセクハラ問題を報じられ「生まれ変わろう」と決意した親子の壮絶な1日が、取材で浮かび上がってきた。澤瀉屋の「生き字引」と称される古老の証言も交え、梨園を揺るがした事件を振り返る。
両親の顔にかけたビニール袋も薬の包装もすでに焼却か

市川猿之助(共同通信)
これが事実であれば、全員同意の上の心中で、生き残った猿之助は自殺幇助罪(刑法202条)に問われるケースだ。しかし、今回はこの立証が極めて難しくなった。猿之助が自殺を図る前に、両親の顔にかけて外したというビニール袋も薬の包装も全て近所のゴミ捨て場で処分してしまったというからだ。
「間が悪いというか、18日は一帯のゴミ収集日で、昼前には収集されてあっという間に焼却処分されてしまった。警視庁が事件を認知して調べを始める段階で、すでに物証類はほぼすべて灰になっていたということです」(同前)

猿之助が普段から利用していたゴミ捨て場(撮影/集英社オンライン)
18日午前10時ごろ、様子を見に来たマネージャーAさん(40代)ともう一人のマネージャーが、半地下の自室のクローゼット内で黒いTシャツと黒い長ズボン姿で横たわり、口から泡を吹いている猿之助を発見。さらに2階で倒れていた両親を見つけて119番通報した。自室の入り口に目立つように立てかけてあったスケッチ用のキャンバスには、猿之助の肉筆でこんな文言が記されていた。
<愛するAだいすき。次の世で会おうね たかひこ>
澤瀉屋の「生き字引」二代目市川寿猿(93)が語る
事件前日の猿之助
東京・明治座で開催中の「市川猿之助奮闘歌舞伎公演」(5月3日〜28日)は事件を受け、猿之助の代役に市川團子(19)をあてるなどして難局を乗り切ろうともがいている。
團子は猿之助の従兄弟、市川中車(香川照之)の長男であり、自身が名跡を受け継いだ三代目猿之助(二代目猿翁)の孫である。先代は宙乗りや早変わりを取り入れた「スーパー歌舞伎」の始祖であり、猿之助を軸にしたこの三世代が「澤瀉屋」の屋台骨だったことは疑いようのない事実だ。

明治座(撮影/集英社オンライン)
こうした背景を踏まえて澤瀉屋の「生き字引」的存在の二代目市川寿猿(93)が、今回の事件について語ってくれた。
「猿之助若旦那に最後に会ったのは事件前日の17日、公演で私の出番が終わったもんだから『お先に失礼します!』って挨拶したら『お疲れ様でした!』って笑顔で返してくれましたよ。その日は他に冗談も言ってくれたりと普段通りで、異変なんてまったく感じませんでした。週刊誌からはすでに取材を受けた後だったのかもしれないけど、舞台をちゃんと成功させるという決意でそう振る舞っていたんだと思います。
18日の朝にメールが入ってきて、猿之助若旦那が体調不良でお休みする旨を知り、バスに乗って明治座に向かってる時に、猿之助さん大変みたいですよって知り合いから連絡が来て、そこで初めて事件のことを知りました。
歌舞伎役者は昔からそうなんですけど、稽古場に入ると一切プライベートの話はしないんです。だから事件があった日も、皆さん心配や疑問があっただろうけど、黙々と冷静に稽古していて、猿之助若旦那の事件の話題が出ることはなくて『若旦那ここどう芝居してたっけ』なんて芝居の話だけです。
欠席などで狼狽えていたら歌舞伎役者は務まりませんから。若旦那を惜しむ声もありません、ただ思うことは各々あったでしょうから、舞台中に涙した役者たちはそういう感情がこみあげたんでしょう」
こう当日を振り返った寿猿だが、猿之助の私生活についてはほとんど知らないという。

中学卒業時の猿之助。昔からプライベートの話はしなかったという(同級生提供)
「私は猿之助若旦那とは舞台の関係は深いですけど、プライベートはハッキリ言ってまったく知りませんし、週刊誌にあったようなパワハラとかも何も知りません。稽古や演出は素晴らしいし、真剣に取り組んでましたよ。芝居なら立役から女方へパッと切りかえる姿なんか一瞬で、私に稽古をつけてくれた初代猿翁大旦那を思い出しますから。猿之助若旦那は私にも『寿猿さんこうしなさいよ』とちゃんと指導してくれる、私からしたら非常にいい若旦那ですよ」
團子坊ちゃんは澤瀉屋の未来を背負って立つ、の人
「昼の部」で代役を務めることになった團子のことも、猿之助は普段から目をかけていたという。
「猿之助若旦那も團子坊ちゃんを可愛がっていたと聞きますけど、稽古場ではやっぱり師匠と弟子ですよ。猿之助若旦那が『團子、こうやらないとダメよ! もっと手を上げなさい!』と言えば『はい!」と返事しますからね。
團子坊ちゃんの代役の稽古も見ましたけど、あれはびっくりした、大したもんですよ。歌舞伎役者っていうのは、『この人が休んだら自分に役がまわってくるだろう』と予想して準備するものなんです。できませんじゃ通りませんからね。
その点、團子坊ちゃんは猿之助若旦那の稽古をよく見て学んでいたんでしょう。猿之助若旦那の面影も感じたし、短い時間の稽古だったのにとてもよい演技で、血を感じましたね。こんなこと坊ちゃん本人には言いませんが、澤瀉屋の未来を背負って立つのはこの人だなと感じました。自分はその時まで生きてるかわからないけど、その姿を見たいですね」

明治座に掲示されたポスター内の團子
寿猿は亡くなった四代目段四郎にも思いを馳せ、こう語った。
「三代目猿之助さんがスーパー歌舞伎のセリフで死ぬことを『星になる』って表現したんです。その言葉がグッときて、それから自分は人がお亡くなりになることを『星になる』と言うようにしてるんです。だから旦那(段四郎)と奥さんも星になったわけです。
旦那と若旦那も稽古場ではプライベートの話は一切してなかったですよ。稽古場に来たら親子ではなく師匠と弟子の関係、無駄口はナシ。『孝彦それじゃダメだ! こうやるんだ!』という感じで厳しく指導されてました。二代目猿翁旦那も若旦那(猿之助)を可愛がってましたけど、稽古場では甥とか関係なしに厳しく指導されてましたよ」
寿猿は「夜の部」で猿之助の代役を務めることになった中村隼人についても触れながら、続けた。
「隼人さんも一生懸命頑張っていますよ。本来、若旦那と私と坊ちゃんで演じる場面があるんですけど、代役で隼人さんが入っても、直接言わずともちゃんと連携が取れてますから。
中車若旦那は猿之助一門の面々を集めて『こうなったモノはしょうがないから、みんなで頑張っていこう』と言ってくれました。心の中では色々と思うことがあっただろうけど、そこは一族の若旦那ですから、態度に出さず落ち着いた様子で鼓舞してくれたんです」

2012年、猿之助襲名時の記者会見(写真/共同通信)
最後に寿猿は、長い役者人生を振り返るようにこう締めくくった。
「(梨園には)20歳からいますから、もう73年ですかね。この間にこんな事件が起こるのは初めてですから、どうなっていくのかもわかりませんけどね。初代猿翁大旦那に20歳で拾ってもらって、猿之助一門の色々な方に稽古をつけてもらいましたから、今こそ先代達の恩に報いる時だと思ってます。中車若旦那と團子坊ちゃんについていって真剣に芝居をして、猿之助若旦那が帰ってきた時に、みんなで支えられるように頑張っていきたいです」
※「集英社オンライン」では、今回の事件について取材をしており、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。
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@shuon_news
取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
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