キノシと呼ばれていた少年時代

猿之助こと本名、喜熨斗(きのし)孝彦は、歌舞伎俳優の父・段四郎と京都友禅図案家の娘である母の一人息子として育った。芸事としては7歳で二代目亀治郎を襲名して初舞台を踏み、36歳で四代目猿之助を襲名。私生活では小学校から高校卒業までフランス系カトリック校の名門私立学園で学び、慶應義塾大学に進んで国文学を専攻、卒業した。
小学校から高校時代までの同級生は当時をこう振り返る。

「当時、猿之助は『キノシ』と苗字で呼ばれる事が多かったですね。おとなしいグループに属していて、いつも2、3人で追いかけっこしたり、校内に咲いてる花を友達と眺めたりしていました。家族が歌舞伎関係者なのは知っていましたが、段四郎さんと聞いても当時はピンとこないし、キノシも歌舞伎の稽古をしているのだろうくらいにしか思っていませんでした。歌舞伎の女形の練習をしていたこともあってか、小学校の頃から走り方や喋り方、ちょっとした仕草にツヤっぽさを感じさせるところはありました。中学に進むと、まつ毛が長く目もとが綺麗で『歌舞伎役者ってすごいな』と思った覚えがあります。イジメとかとは無縁だったと思います」

〈事務所は否定〉市川猿之助(47)ハラスメント報道を“竹馬の友”はどうみたか?「キノシはおとなしく校庭に咲く花を眺めていた」「活躍して環境がガラッと変わり、勘違いするようになったのかも」_1
中学時代の市川猿之助(同級生提供)
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男子校だったこともあり、同級生は休み時間や放課後に好きなアイドルや芸能人を言い合うことで盛り上がることがしばしばあったが、猿之助はこの手の話題には興味がなかったようだ。
ちょうどそのころ、高校2年生当時の「亀治郎」へのインタビューをもとにした記事が「SAY」(青春出版社、既に休刊)の1993年4月号に掲載されていた。同級生とは趣を異にし、歴史に造詣の深い大人びた人となりがよく伝わるので、以下に抜粋する。

※※※

<これは亀治郎さんのお母様から伺った話であるが、「子供ってたいていデパートのおもちゃ売り場に行きたがるのに、あの子はね小さい時から、『ねえお母さん、仏壇屋さんに連れていって』と言うて、お店で『僕このお厨子が欲しいな』って言う子でしたわ」
素顔の亀治郎さんは●●高校(※編集部伏字)の二年生であるが、制服姿は高校二年生よりも少し幼く感じられる。なで肩で、華奢で、目許がパッチリとしていて、そう、なんだか仔鹿のバンビちゃんといった雰囲気。この方のどこに、あの舞台で見せるエネルギーが潜んでいるのか不思議であった。

〈事務所は否定〉市川猿之助(47)ハラスメント報道を“竹馬の友”はどうみたか?「キノシはおとなしく校庭に咲く花を眺めていた」「活躍して環境がガラッと変わり、勘違いするようになったのかも」_2
2012年、猿之助襲名時の記者会見(写真/共同通信)

漏れ聞くところによれば、成績は学年で常に十位に入っていて、学校の先生からも「歌舞伎の道に進む人でなかったならば、東大コースである」と言われているとか。
お寺が好きで、本が好きで、歴史が好き。今はどんな本を読んでるのかしら?
「役者が読んでおかなきゃいけないって本があるでしょう」たとえば?
「名優芸談集とか六代目菊五郎評伝。中村仲蔵の手前味噌や、役者論語も……。それから近松門左衛門の作品」
浮世絵にも興味があって、お小遣いを貯めては買い集めているとか>