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「将来は中国語の先生になりたい」と夢を語ってくれた

――留学中の隼都さんとの思い出を教えてください。

隼都さんの実父(以下、同)
 中学の卒業式に行ったときは「壱岐に来て良かったよ、壱岐に連れてきてくれてありがとう」って手紙を読んでくれて、すごく嬉しかったです。
そのときに壱岐の島巡りをしたんですけど、隼都は清石浜、鬼の足跡、猿岩、小島神社、壱岐市立一支国博物館、はらほげ地蔵、他にもいろんなところに案内してくれました。
Aさんにすごくたくさんのところに連れて行ってもらっているんだなと思いましたし、釣りをした話も聞いて、茨城にいた時より楽しんでいるなと感じました。
隼都が職業体験でお世話になったパン屋さんにも行きました。
隼都はずいぶん背も伸びていたので、最終日には成長に合わせて洋服をたくさん買いました。ただ動きやすいからか、普段はジャージばかり着ていたようですが。

〈壱岐市・男子高校生死亡〉「遺灰になってから離したくなくてずっと抱きしめた」「事故死という考えを貫きたい」隼都さん実父告白180分、世間に今、一番伝えたいこと…_1
中学の卒業式での隼都さんとお父さん
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生活面では食器洗いや洗濯、料理を手伝ってよく褒められていたみたいで、帰省したときも家事をたくさん手伝ってくれました。
Aさんにも「畑の手伝いもしてくれてすごい助かってたんだよ」と聞きました。隼都も必要とされていることが嬉しかったんだと思います。

――最後に隼都さんと連絡を取ったのはいつですか?

普段はスマホを触らないようにしてましたけど、テニスの遠征とかがあれば持ち歩くんです。ただ冬休みに会って以降はそのタイミングがなくて、最後に送ったラインも既読になってなかった。
コロナで壱岐の隔離施設にいたときは、毎日ラインでお互いに面白いと思った動画を送りあったりしていました。
テニスの試合の結果も逐一送ってくれていたので、「おめでとう、頑張ったな、1勝でもしてくれて嬉しい」などと返信していました。

〈壱岐市・男子高校生死亡〉「遺灰になってから離したくなくてずっと抱きしめた」「事故死という考えを貫きたい」隼都さん実父告白180分、世間に今、一番伝えたいこと…_2
お父さんと隼都さんとのLINEのやりとり

――最後に会った冬休みには、隼都さんとどんな会話や過ごし方をされたんですか?

夏のころから聞いていましたが、冬休みにも「中国語を勉強できる大学に行って、将来は中国語の先生になりたい」と夢を語ってくれました。
それを聞いて「寂しいから、頼むから関東の大学にしてくれ」と、条件に合う関東の大学も探したりしました。関東圏なら一人暮らしでも週末に会えるかなと思ったので。
庭で一緒にテニスの練習もしました。うちでもテニスの練習ができるように、球を打ったらゴムで返ってくる道具を作ったんですよ。

〈壱岐市・男子高校生死亡〉「遺灰になってから離したくなくてずっと抱きしめた」「事故死という考えを貫きたい」隼都さん実父告白180分、世間に今、一番伝えたいこと…_3
お父さんが茨城の自宅につくったテニス練習用の道具

それで練習している写真は捜索用のビラにも使いました。
新年には私の実家に連れて行って祖父母に会わせたりもしました。いろんな外食に連れ回すのも隼都が帰ってきたときの楽しみで、焼肉やカレーの食べ放題とか、壱岐にはないという回転寿司にも連れて行きました。