
大ヒット漫画『妻が口をきいてくれません』担当編集が語る野原作品のすごさ。「主人」「奥さん」という呼び方は令和でも現役、メディアで語られる夫婦と実際の夫婦の在り方にはまだまだギャップがある
webサイト『よみタイ』連載中から大反響を巻き起こし、書籍化から2年を経てもなお読者を増やし続けている漫画『妻が口をきいてくれません』。さらに離婚後の家族を描いた問題作『今朝もあの子の夢を見た』も話題の著者・野原広子氏の魅力を、担当編集の今野加寿子氏に聞いた。

『妻が口をきいてくれません』登場人物
届いたプロットの全部がおもしろそうだった
――今野さんと野原広子さんの出会いは?
『離婚してもいいですか?』(KADOKAWA刊)など、もともと野原さんの作品が好きで、いつか一緒にお仕事したいな、と思っていたんです。ですから、あるところでお目にかかってすぐ、その気持ちを伝えました。
しばらくして何本かプロットをいただいたのですが、すべてに興味を引かれ、決められなくて(笑)。単刀直入に「野原さんが今、一番お描きになりたいのはどれですか?」とお尋ねしました。
――それが『妻が口を聞いてくれません』だったというわけですね。
はい。家族4人で穏やかに暮らしていたはずなのに、あるときから突然、妻が夫に、必要最低限の会話以外言葉をかけてくれなくなるところから物語は始まります。夫には、理由がまったく思い当たらない。
3日経ち、2週間経ち、気がついたら数年が経ってしまっている。後半では視点が妻サイドに変わり、だんだんと理由が明かされるわけですが……。
――リアルですよね。世の妻たちが「あるある!」と賛同しまくりました。
そうなんです。家事や育児で自分のこともままならないのに、仕事から帰ってきた夫から「家に1日いる人は気楽でいいよな」とか言われたらカチンときますよね。具合が悪くて寝ていたら「いつになったらよくなるの?」は、すでにモラハラですよ。
けれど、男性読者からは「妻がわがままなのでは?」という意見が多かったんです。
――確かに理由を言わずに突然口をきかなくなった妻は、ちょっとズルいかも?
妻にしてみれば、何度か伝えても改善しないので話さなくなってしまったというところなんでしょうが、「妻は、夫にもっと働きかけるべきだったのでは」という意見はたくさんいただきました。
レビューなどを見ていると、この夫婦はどっちも悪口を言われてますね(笑)。だからこそたくさんの方に読んでいただけたのではないかと思います。
夫婦の問題は、どちらかだけが悪いわけじゃない。それぞれに、口には出さない不満があって、それぞれの言い分があると。
「主人」と「奥さん」はまだまだ現役
――『妻が口をきいてくれません』の夫婦は、ある意味とても昭和的のように思えますが。
そうですね。夫は、主婦なんだから家事をやるのが当たり前という感覚だし、妻のほうも「自分は外で働いていないし、生活費はすべて夫任せだから仕方ないよね」と根っこのところで思っている。
――今は、家事を夫婦で分担するという考え方も主流になり、読むと「古い」と感じる人もいるのでは?
私も最初はそういう懸念があったのですが、意外にもまだまだ保守派は多いですね。「うちの主人もそうです」という声も聞きますし、そもそも30代の女性でも夫を「主人」と呼ぶ妻も多いです。
――そうなんですか!
「主人」と「奥さん」という呼び方は、令和になってもまだまだ現役ですよ。家事分担にしても、たとえ共働きでも夫のほうが収入が多いと、妻が家事をやらなくてはならない雰囲気になる。メディアで表現されている夫婦と、実際の夫婦の間にはギャップがあるな、というのがレビューを読んでの素直な感想ですね。
――そもそも好きだから結婚したはずなのに〝家庭〟となると「好き」だけじゃやっていけないということでしょうか。
特に子どもができると雑務が一気に増えますし、いわゆる名も無き家事が激増する。で、どうしても女性のほうが細かいことに気づく特性があるので、「やって」という前に自分がやってしまう。

『妻が口をきいてくれません』より
――そして「やってくれない」という不満が発生する。
そうなんです。やってほしいことを夫に言っていたとしても、たとえば「靴下は裏返しのまま洗濯機に入れないで」というようなことも50回くらい言っているうちに諦めてしまう。
『妻口(つまくち)』は、その妻の諦めの過程も非常にていねいに描かれています。すごく深い。深いことをシンプルな画や空白で伝えきってる。野原さんの天性のセンスだと思いますね。
野原広子の「あえて」
――『妻が口をきいてくれません』は夫婦のお話ですが、離婚後の家族を描いたのが『今朝もあの子の夢を見た』です。
妻が娘を連れて出て行ってしまい、夫は娘に会いたくても会えない。娘との関係性はよかったはずなのにと、長年思い悩む。いわゆる“片親疎外”の問題は昨今、話題になっています。
――タイトルとカバーデザインのイメージから、いい意味で裏切られました。
優しく美しい物語が始まりそうな感じがしますよね。でもそのギャップも、野原さんの持ち味なんです。ふんわりとした優しい画風で重いテーマを掘り下げていく。
そして、主人公の男性の髪の毛をよく見ていただきたいんです。ほら、テッペンに2本アホ毛が描いてあるでしょう? これも、深刻な内容だからあえてとぼけた感じを出したかったのだそうです。髪型をゆるくすることで、深刻になりすぎないように。
――なるほど!
それほど、せつないお話です。この作品では、妻が家を出た理由が明確に描かれていないのですが、それも「あえて」なんですね。
――このテーマを野原さんが取り上げようと思われた理由はなんでしょう?
ここ数年、共同親権・単独親権について社会的に問題になっていたり、子どもに会わせてもらえない父親の話を聞いて、どうしてそういうことになっているのだろう?という疑問からご興味を持たれたそうです。

『今朝もあの子の夢を見た』より
――読者の中には、著者の実体験がベースになっているのでは?と思っている人もいるかと思うのですが。
当初、野原さんの作品は「コミックエッセイ」というジャンルに分類され、一般的にコミックエッセイは著者の体験に基づくものが多いため、そう思われがちだったかもしれません。
しかし、ご本人の体験談だと誤解されないようにと、集英社の作品では「エッセイ」の部分を除きました。
――さまざまな情報から、オリジナルの物語を作りあげていらっしゃるということですか?
知人から聞いた話、ネットや新聞の情報からテーマをすくい取って作品を作りあげるそうですから、すべて架空の設定、架空の人物のフィクションです。
様々な情報や知識を練り上げて、多くの読者の方々の共感を得るリアリティを作り上げる手腕は、見事としか言いようがありません。
取材・文/工藤菊香 漫画/野原広子
『妻が口を聞いてくれません』
野原 広子

2020年11月26日発売
1,210円(税込)
A5判/168ページ
978-4-08-788048-9
第25回手塚治虫文化賞「短編賞」受賞!メディアで大反響、夫婦の問題を掘り下げる賛否両論の話題作!
妻はなんで怒っているのだろう……。妻、娘、息子の四人家族として、ごく平和に暮らしていると思っていた夫。
しかし、ある時から妻との会話がなくなる。3日、2週間と時は過ぎ、やがて会話のない生活は6年目に。
家事、育児は普通にこなしているし、大喧嘩した覚えもない。違うのは、必要最低限の言葉以外、妻から話しかけてこないことだけ……。
ウェブサイト「よみタイ」の大好評連載、衝撃の描き下ろし最終話を加えて待望の書籍化。
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