【私のウェルネスを探して】武内由紀子さんが不妊治療を経て「特別養子縁組制度」でふたりの子どもを迎えるまで_1

今回のゲストは、タレントの武内由紀子さんです。武内さんは、1993年に「大阪パフォーマンスドール」のリーダーとしてデビューした後、今田耕司さん東野幸治さんと結成したユニット「WEST END×YUKI」からリリースした「SO.YA.NA」でブレイク。タレント活動や舞台女優を経て、40歳の時に7歳年下のパン職人の男性と結婚しました。武内さんは特別養子縁組制度で長男、長女を迎え、現在は子育てに奮闘する日々を過ごしています。前半では4年間の不妊治療を経て迎えた特別養子縁組という形、憧れていた家族像について話を聞きます。(この記事は全2回の1回目です)

引っ込み思案だけどアイドルに憧れ、夢を叶える

武内さんは、大阪生まれ大阪育ち。生粋の大阪人ですが、幼少期はとても控えめで、活発な姉と比べて引っ込み思案だったそう。だけど、憧れていたのはアイドル。松田聖子さん、小泉今日子さん、中森明菜さんらトップアイドルたちがスモークの中から出てくる姿に憧れ、小学5年生からオーディションに応募し始めます。アイドルの夢を諦めないまま、中学・高校へと進学。転機が訪れたのは19歳の時でした。

「よしもとが主催した『大阪パフォーマンスドール』のオーディションでした。16人が選ばれた中で私が一番年上だったので、リーダーに抜擢されたのですが、内気な性格もあってか全然やりたくなくて(笑)。そうしたら、よしもとの会長で当時は社員だった大﨑洋さんが、『じゃあ挙手制にしよや』って言ったら、みんなが『やりたい!』と手を挙げて。それを見て、まずいなと思って私も手を挙げたら『なんやねん!!』と突っ込まれて。結局、私がリーダーになりました」

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大阪パフォーマンスドール時代の武内さん(写真提供/武内由紀子さん)

当時はオリジナルの曲が少なかったため、「東京パフォーマンスドール」の曲を歌うこともあり、市井由理さんのパートを担当することが多かったそう。それがきっかけで、「EAST END×YURI」の「DA.YO.NE」のカバーで抜擢され、「WEST END×YUKI」でリリースした「SO.YA.NA」が、多くの人に知られるきっかけになりました。

「アイドルになれたことが本当に嬉しかったです。大阪パフォーマンスドールに所属していたのは3年ほどでしたが、歌もダンスも夢中になってやりましたね。歌はさておき、ダンス経験はほぼなかったので、そこで勉強したようなもの。その後は、女優やタレント活動をしていましたが、30歳になる直前、舞台と出会ったことがとても大きかったです。ゼロから作り上げていく時間がとても楽しくて幸せな時間でした。当時はまだ、結婚願望や家族への憧れもなかったですね」

不妊治療をしていた4年間は、とても辛かった

28歳の時に一般男性と結婚しますが、相手も武内さんも仕事に没頭していたため、結婚生活は6年ほどで終わりに。その後友人からの紹介で、7歳年下の今の夫と出会います。「物静かで、いつもニコニコしている人だった」という夫と付き合いを重ね、早々にプロポーズを受けます。子どもができたら入籍しようと思いながら、4年経った40歳の誕生日に入籍します。

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「彼と付き合って、家族を作りたい、子どもが欲しいと思うようになりました。でもなかなか子どもができませんでした。30代で産みたかったので、私だけで婦人科に通い初めて不妊治療を始めました。2年3年と経ちましたが状況は変わらず。入籍すると、体外受精などの高度な治療が受けられたり、治療費の助成もあります。東京都では、助成を受けられるのが42歳までという制限があったこともあり、急ぎたい気持ちもあって入籍をしました」

不妊治療をしていた4年間は、とても辛かったと振り返ります。仲のいい友人がどんどん出産しママになる。友達の子どもと遊んでいても、いつかママの元に帰ってしまう。街を歩いていてもマタニティマークをつけた人や、ベビーカーを押している人が目についたり。「普段は気にならないものでも、すべてが気になるんですよね。なぜ私はあそこに辿り着けないんだろう、と。自分の中が空っぽな気がしました」。そんな時、同じ不妊治療をしている友人から言われた言葉ありました。