【豚角煮土鍋ご飯】またひとつなくなってしまう思い出の場所で:パリッコ『今週のハマりメシ』第29回_a

東京都練馬区の石神井公園という街に住みはじめてから、もう14年になる。

引っ越してきた当時は娘もまだ生まれていなかったので、妻とともにあちこちの飲食店を自由にめぐり歩いた。それほど大きな街ではないけれど、昔ながらの商店街が残っていて、そこにちらほらと個人経営の良い酒場が点在し、暮らせば暮らすほどこの街が好きになった。

なかでもよく通っていたのが「玉仙楼」という大陸系の中華料理屋。

【豚角煮土鍋ご飯】またひとつなくなってしまう思い出の場所で:パリッコ『今週のハマりメシ』第29回_b
「玉仙楼 本店」

初めて入った時はまず、値段の安さに驚いた。特に「唐揚げ」は、この14年の間に多少の値上げはされたものの、当時は確か200円だったはず。何気なく頼んでみると、メニュー写真だとどうみても4個なのに、皿には大ぶりのからあげが8個ものっている。「これ、逆に詐欺だよね」なんて妻と笑い、それでもうこの店のとりこになってしまった。シンプルな塩味でカラッと揚げられた鶏肉はジューシーで、それに酢胡椒をちょんちょんとつけながら食べるのが好き。

生ビールと巨大棒餃子、それから四川料理では「醤大骨」と言われる、たっぷりと肉のついた豚の骨を醤油味に煮込んだ「風味スペアリブ」がセットになった「生ビールセット」は、スタートにぴったり。毎週水木は「水餃子」が100円だったし、サービス価格で190円の「ウーロンハイ」は、人生で一体何杯飲んだことか。

まろやかなスープが魅力の「豚肉入りごまスープ麺」。夏場の定番「冷やし黒ごま坦々麺」。とてもひとりでは食べきれず、数人で行ったときにここぞと頼んだ「牛肉あんかけかた焼きそば」。なぜか突然ある日本風メニューの「鉄板あつあつオムライス」に、もやしたっぷりの「豚肉葱しょうが鉄板焼き」などなど。好きなメニューを数えあげればきりがないが、とにかくなにを頼んでも安くて美味い名店だ。

そんなことだから、地元民を中心に大人気で、やがてもともとは床屋だった(と記憶している)隣の建物を吸収合併し、駅前に2号店もでき、店はどんどん大きくなっていった。多い時は妻と週一くらいで通っていたし、年末には必ず、沿線に住む友達に声をかけ「石神井忘年会」を開いた。他にも、地元に友達がやって来ればまずここへ連れていき、その安さに驚いてもらったものだ。他にも好きな店がたくさんできて頻度は減ってしまったけど、もう14年も通い続けていることになるのか。

って、なんでこんなふうにしんみりと懐古しているかというと、この5月いっぱいで、玉仙楼の本店が閉店してしまうという話を聞いたからだ。2号店もメニューは同じで、そちらは引き続き営業するらしいので、そう悲観する話でもないんだけど、僕にとってはやっぱり、本店の空間そのものに思い出がありすぎるのだ。

まだ行けるうちに少しでもあの空気を味わっておきたいと、ある平日の昼、僕はひとり玉仙楼に向かった。

時刻は午後1時を回っていたけれど、店内に先客はなし。以前ならこのくらいの時間は常に大にぎわいだったので、今はどうしてもアクセスのいい2号店に人が集まっているのかな。なじみの店内を見回すと、まだ営業終了までは2週間もあるはずなのに、びっしりと貼られていた壁メニューがすべて取り外され、真っ白の壁がむきだしになっている。気が早いというかあっさりしてるというか。だけどそのこだわりのなさに、なんだかほんのりと救われるような気もするから不思議だ。

【豚角煮土鍋ご飯】またひとつなくなってしまう思い出の場所で:パリッコ『今週のハマりメシ』第29回_c
「生ビール 中ジョッキ」(450円)

まずは生ビール、それから近年の定番「ピリ辛もやし」を頼み、ちびちびとやりながらメインメニューを検討しよう。

【豚角煮土鍋ご飯】またひとつなくなってしまう思い出の場所で:パリッコ『今週のハマりメシ』第29回_d
「ピリ辛もやし」(250円)

熱々で肉みその旨味が効いた、容赦なく辛いもやしをつまみに飲む、キンキンのビールがうまい。さて今日はなにを頼もう。好きなメニューはあれこれあるけれど......久しぶりに、大好物の「豚角煮土鍋ご飯」いってみるかな!

【豚角煮土鍋ご飯】またひとつなくなってしまう思い出の場所で:パリッコ『今週のハマりメシ』第29回_e
「豚角煮土鍋ご飯」(990円)

僕はこの店で中華風の「土鍋ごはん」なるものを生まれて初めて食べた。本式は炊き込みごはんなのかもしれないけれど、ここのは熱々に熱した土鍋にごはんをよそい、その上に具がのるスタイル。見てのとおり、僕の大好物の分厚い豚肉がこれでもかとのっていて、これを見た時は思わず大歓声を(心のなかで)あげたものだ。久しぶりに会ったけど、変わらずの頼もしい存在感が嬉しい。

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ザクザクと掘り起こしながら食べる楽しさ

じゅわじゅわパチパチと音をあげる土鍋からは、豚肉、醤油、ごはんがおこげ風になった香ばしい香りが一体となって立ち上り、やっぱりテンションの上がる料理だ。箸を入れると繊維に沿って簡単に裂けてくれる豚角煮をまずはひと口。もぐもぐもぐ。しっかりとした肉質の豚と、とろっと甘い脂身の融合。そして和風の角煮とはベクトルの違う、きりっとした醤油味。これこれこの味! 香ばしいごはんと合わせて食べれば、もう、うっとり。すかさずビールをぐびぐびっ! はい幸せ~。 

【豚角煮土鍋ご飯】またひとつなくなってしまう思い出の場所で:パリッコ『今週のハマりメシ』第29回_g
だんだん全体が混ざっていく味の変化がまたいい

心身ともに大満足となって帰り際、何度も宴会をさせてもらった奥の拡張スペースをちらりと覗かせてもらった。まだ営業中ながら、なんだかすっかり役目を終えてしまったような雰囲気がなんとも寂しい。コロナがあって、しばらくここで宴会もできてなかったもんな......。というか、このスペースで友達とわいわい飲む機会は、もうないってことになるのか? う~む、やっぱり寂しい。

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ありがとう、玉仙楼 本店

取材・文・撮影/パリッコ

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