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栗城さんの新たな野望

2009年5月18日。栗城さんはダウラギリ(標高8167メートル・世界第7位)に登頂を果たす。その2日後、1年あまりの取材をまとめた番組『マグロになりたい登山家~単独無酸素エベレストを目指す!~』が放送された。

北海道限定だがゴールデンタイムでの放送だった。彼の事務所から提供を受けた登山のシーンは極力短くし、むしろ彼の日常にフォーカスしている。この番組は日本民間放送連盟賞などを受けた。

私は「観察モード」ながらも、栗城さんと友好的な関係を維持してきた。番組作りへのモチベーションも保っていた。しかし、いよいよエベレスト初挑戦という矢先、ふたたび彼に対する疑問と不信感が頭をもたげてくることになる。

栗城さんのエベレスト遠征は、大手ポータルサイトのYahoo! JAPANとがっちりタッグを組んでいた。2009年7月、Yahoo!に栗城さんを応援する特設サイトがアップされた。栗城さんがエベレストの前進基地、ABC(バンス・ベースキャンプ)に入ったその日から登山の過程を動画で毎日配信する。

そしていよいよ山頂アタックという段階に達したら、配信から生中継に切り換え、ネット上で同時視聴できるという大仕掛けが用意されていた。小さな登山家が大きな山の頂に立つ瞬間を、リアルタイムで共有できるのだ。

単独無酸素でのエベレスト登頂はボクの夢。これを見ているあなたはどんな夢を見ていますか? その夢をボクも応援したい。誰もがみんな、目指すべき人生の頂を心の中に持っているはず。ボクと一緒に、あなたもあなたのエベレストを登ってください!

――そんなメッセージを込めた生中継を、栗城さんはこう呼んだ。

「冒険の共有」そして「夢の共有」。

栗城さんはこの発想をどうやって得たのか?

「栗城にネットでの生中継を吹き込んだのは、日本テレビの関係者ですよ。彼が考えたことじゃない」と話すのは、大学時代に登山部の先輩だった森下亮太郎さんだ。

2007年4月、栗城さんがチョ・オユー(標高8188 メートル・世界第6位)に出発する前日のことだ。東京都内の居酒屋でささやかな壮行会が持たれ、BC(ベースキャンプ)のカメラマンとして同行する森下さんも参加していた。

テレビ局関係者のTさんともう一人、番組関係者と思われる40歳前後の男性がそこにいた。栗城さんとはすでに何度か会っているようで親しげな様子だったという。その男性の口からこんな言葉が飛び出した。

「今回は動画の配信だけど、いつか生中継でもやってみたら? 登りながら中継したヤツなんて今までいないよね」

正確には、登りながら生中継をした登山家が、かつて一人だけいた。番組関係者はその登山家の存在も栗城さんに伝えていたと思われる。