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「思春期」を卒業した新海誠

土居 『すずめの戸締まり』についての新海誠のインタビューを読むと、「『君の名は。』を作っているときは運命の赤い糸とか信じられたけど、年齢的にもうキツい。あからさまに性的な表現も今だったらやらない」という話をしてるんですよね。その言葉どおり、フェチ的な表現もどんどん後退していきます。

また(『すずめの戸締まり』は)最初に女性2人のロードムービーにしようとしていたものがプロデューサーの反対を受けて男女の話になったわけですが、最終的に椅子に落ち着いたとか、実質的には「人間と人間じゃないもの」という分け方のほうが正しい。草太とすずめの間には異性愛というよりは同志としての感覚があるんだ、とも言っている。そういったジェンダー的な描写にも明らかな変化があります。

北村さんはジェンダーについても本を出されていますが(『アクター・ジェンダー・イメージズ』)、その点でいうと新海誠ってどうですか?

北村 ジェンダー的な観点でも今回はこれまでとまったくちがうなと思いました。
これまでは、女性の身体が客体として男性目線で描かれる部分がありました。ですが今回は、いわゆるエロい感じのカットはまったくないですよね。

草太との関係についても、最後の方に環が「好きだから行くんだね」みたいなことを言いますけど、あの「好き」とすずめの「好き」って全然ちがうと思うんですよ。いわゆるヘテロノーマティブな意味での、異性愛的な「好き」ではない。

2010年後半って愛というもののグラデーションがいろいろ議論されて、クワロマンティック・アセクシャル・アロマンティックとか、いろんな愛についての言説が広がった時代でした。それを経た上で見ると、全然単純な恋愛ではないなって受け取れるんですね。

土居 なるほど。

北村 そもそも少女と異形の物語ですもんね。ある意味、男性性が不在というか。それもこれまでになかった点です。

草太は椅子になり、身体を失う。キスしようとするけど口がないみたいなシーンもありますよね。

同時に、視線もほぼなくなります。「男性からまなざされた女性の身体」という構図が成立しなくなっている。そこが画期的でおもしろいなと。