2019年11月、「香港理工大学包囲事件」の13日間の内側を、匿名の映像チーム「香港ドキュメンタリー映画工作者」に聞く。

香港民主化を望んだ学生たちと警察の息詰まる攻防の内側。『理大囲城』の匿名映像チームインタビュー_1
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『理大囲城』は2019年、11月13日、香港民主化デモに参加していた中学生、高校生、大学生たちが武装した警察官の包囲網によって、香港の名門大学、香港理工大学の敷地内での籠城をやむなくされた、若者たちの13日間「香港理工大学包囲事件」を追ったドキュメンタリーとなります。

毎回、この前説で監督の紹介をしているのですが、この作品は複数のカメラマンが写した映像を組み合わせて一本の映画にして「香港ドキュメンタリー映画工作者」として制作したもの。作り手たちの安全性を保つため、取材当日、顔出しはNG、ボイスチェンジャーを使用して、監督たち、制作者たちの将来を案じ、匿名性を保ちながら話を伺いました。異例の形のインタビューですが、ご理解いただけたらと思います。

1997年6月30日、香港がイギリスから中国へと返還されたあの日、現地で取材をしていました。国に戻るイギリス人たちがそれぞれオーダーした華やかなチャイナドレスを着て、あちこちで行われているパーティに参加する様子を見ながら、香港の人たちの本音はどうだろうと耳を傾けました。「英国海外市民」であった香港人は、イギリス国籍とは違い、イギリスに永住ができなかったことから、「アイデンティティとしては宙ぶらりん、中国人としてのアイデンティティを持ちたい」と話す友人もいました。

その後、2047年まで維持する約束だった香港の資本主義システムは、中国政府の方針で、急速に本土の政策、法律への統一化が早まり、その危機感から2019年の民主化デモでは「逃亡犯条例改正案の完全撤回」や「普通選挙の実現」などを含む五つの目標「五大要求」の達成を目的としていました。このあたりの状況は新聞記事などを参考にしていただけると幸いです。

香港民主化を望んだ学生たちと警察の息詰まる攻防の内側。『理大囲城』の匿名映像チームインタビュー_2

香港ドキュメンタリー映画工作者
2019年11月に香港民主化デモの中で起きた“香港理工大学包囲事件”において、デモ参加者のひとりとして、大学の中でカメラを回し続けていた匿名の監督たちが、後日、緩やかに集まり、『理大囲城』を制作。メンバーの人数、プロフィールなどは一切匿名としているが、全員がまだ香港に住み続けているという。

警察への不信感が募り、体制への恐怖がピークに達しているときに包囲事件が起きた。

香港民主化を望んだ学生たちと警察の息詰まる攻防の内側。『理大囲城』の匿名映像チームインタビュー_3

──2019年の香港民主化デモは、「逃亡犯条例改正案」が持ち上がったことから始まりました。これに至る経緯として、2014年に選挙制度を市民による民主的な選挙制度に変えることと、当時の行政長官の辞任を要求する「雨傘運動」が起き、結果として香港警察に鎮圧され、目的が果たされなかったという過去があります。

この上で「逃亡犯条例改正案」が可決されると、香港市民の自由がますます制限されると沸き起こったデモ行動で、6月20日に香港政府が通常の立法手続きをスキップして採択しようとした「逃亡犯条例改正案」は200万人を超えるデモによって、10月に正式に撤回されています。それでも危機感を抱いた市民のデモは終わらず、立法会のデモによる包囲の成功体験が、香港理工大学でのデモに結び付いたとの認識でいいですか?


「香港理工大学で大規模なデモが起きた背景としましては、市民が立法会を包囲したという成功体験が関係したこともありますが、比較対象として言えば、その直前に香港中文大学へのデモ隊の動きが客観的に見て、大成功に終わったんですね。中文大学は裏手に山があり、地形を使って警察から守り切ったという背景もあり、じゃあ、次にどこを塞げば、警察の動きを遮断できるかということで、3本の海底トンネルに挟まれた地形にある香港理大が選ばれ、トンネルの動きを止めて、大学を占拠しようとなりました」

2019年7月から9月の間に、様々な不可解な事件が起きるようになった。

香港民主化を望んだ学生たちと警察の息詰まる攻防の内側。『理大囲城』の匿名映像チームインタビュー_4

──このドキュメンタリーを見てショックだったのが、警察が、学生たちの言い分を聞かずにいきなり、包囲するんですけど、その際、ジェイ・チョウやサミュエル・ホイなどの人気のポップスを大音量で流して、その歌詞の内容を利用していることでした。自分たちに聞く耳はないけど、こちらの言い分は聞けと言わんばかりで、一方的なディスコミュニケーションにカルチャーが使われていることもつらくて。

皆さんが撮影している映像を見ると、学生たちの間には警察への不信感がとても募っていて、捕まると実際、何をされるかわからない、周囲でも酷い目にあった学生がいると、危機感で不安を口にする学生たちの姿が赤裸々にカメラが写していますね。この籠城の期間、学生たちの警察への不信感はピークに達していたと言えますか?


「ある意味、ピークに達してもいましたし、警察と一般市民、もしくはデモ参加者との関係は最悪になっていたともいえるでしょう。わたしたち『香港ドキュメンタリー映画工作者』では、立法会選挙に関するドキュメンタリーを1本制作しているのですが、そのときは、まだそこまで関係性は悪くはなかったんです。ただ、デモ活動が大きくなっていくうちに、特に2019年の7月から9月にかけて、街頭でのデモ活動において、様々な不可解な事件が起きるようになりました。

例えば、真偽はもう確認しようがないんですけれど、逮捕されたあと失踪者となる人が出たり、連行後、黒いTシャツを着たまま海の上に浮かんでいたとか。逮捕されてしまうとどう扱われるかわからないという警察への不信感が募り、警察体制への恐怖もピークに達していたのではないかと思います。11月の理大デモのときには、警察への信頼度は最低と言える状態だったと言えると思います。

当時、警察は毎日記者会見を行っていたんですが、 発表している内容と、メディアが実際に外で撮影している現実の状況との間がかけ離れていた。そういった点においても、警察の言うことは信用できないという風に言われていました」

カメラが見えないところではミドルエイジ、シニアエイジのデモへの役割が大きかった。

香港民主化を望んだ学生たちと警察の息詰まる攻防の内側。『理大囲城』の匿名映像チームインタビュー_5

──2014年の雨傘運動以降、香港政府の市民への締め付けが厳しくなり、5人以上集まるとデモと見なすとか、政治活動と見なすとか、非常に管理社会としての側面が強まっていて、19年の民主化デモでは若い人たちの抗議行動が非常に顕著に見えたのですが、私と同年齢の40代、50代の大人たちはどうしているんだろうと、その顔が見えず、もやもやしていました。実際、この映像に映っているのも10代、20代の学生ばかりですよね。

「ミドルエイジの行動があまり見えなかったというご意見ですが、新聞やテレビの報道で出てくる映像はデモの最前線のシーンが多いので、どうしてもそこは若い人が多かったりするんですね。でも、視線を一歩引いて、カメラが回っていない場所でいうと、幅広い世代の人がデモ運動を応援していました。中でもすごく大きな役割を担っていたのは実は40代、50代の人たちなんです。

例えば、香港での「和理非」というスローガンがあって、それは和平、理性、非暴力によるデモ運動の精神のことを言うんですけど、要は法の違反行為はしないけれど、デモには参加するという人たちのことを指す。こういう人たちは年齢層としては、ミドルエイジ、シニア層なんですね。

『理大囲城』の中にも登場しますが、デモに参加し、警察に一方的に包囲されてしまったため、家に戻れなくなってしまった子どもたちを助けに行くと称して、車を持っている保護者たちがデモ参加者の送り迎えをしてもいました。この活動は中文大学では特に顕著な応援となっていました。理大でも、13日間も警察が包囲を解かなかったことから、大学内部での衛生状況が悪くなったとかいうエピソードは報道でよく語られたと思いますが、実際には比較的年長者の方々が掃除をしたり、シェフの人たちがふらっとご飯を作るだけのために現れたりしました。そういう部分はカメラには映っていないのですが、実際には様々な団体であったり、幅広い年齢層の人たちが学生を助けに来てくれていたんです。

あと、面白い話としては、香港ではシニアの世代、60代以上を銀髪族というんですけど、そういった人たちが実際にデモを起こしたいと言っていた。なかなかそういう草の根の運動は海外向けの報道では紹介されないんですけど、香港の民主化デモは全員参加型の社会運動とも言われているくらい、幅広い年齢層が参加していたと言えます」

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──なるほど。わたしが今回の映像を見てショックだったのは、カメラが回っているのをわかっていても、警察官が平気でカメラの目の前でゴム弾を撃っていることでした。撃たれた人を助けた人が、「この映像はライブ映像で世界中に流れているんだぞ、いいのか」と抗議していましたが、理大にいたみなさんは、警察の武力行使をいとわない姿勢に焦りを持ち始めたのは何日目からでしたか?

「理大に入って1日目には、そうでしたね。そもそも、デモが始まって、7月から9月の間の街頭活動において、警察の対応がどんどんエスカレートしてきましたが、それが顕著に表れ出たのは、7月21日の夜、中国との境界に近い元朗(ユンロン)の地下鉄駅で、デモ隊の若者や利用者などが謎の『白Tシャツ』集団に襲撃された時だったと思います。様々な現場の証拠から考えて、警察は白T集団の存在を知っているんだけど、あえて、彼らが暴れるのを見過ごした。あの事件は、たまたま駅にいた一般人が、警察の対応に巻き込まれた瞬間でもあったと思います」