ヨーロッパ最大の規模を誇り、日本マンガの売上が全体の3割程度を占めると言われるフランスのマンガ市場。その売上は2021年には前年比50%成長を遂げて、約9億ユーロ(1ユーロ130円計算で約1170億円)に達した(GfK調べ)。
市場拡大の背景について、『怪獣8号』のフランスの発行元であるKazé Franceのマーケティング/セールス部門のマンソー部長は次の3つの要因があると分析をしている。

『怪獣8号』ーーフランスで大ヒットの秘訣に迫る!
「少年ジャンプ+」にて連載中の『怪獣8号』(松本直也・著)は、連載開始当初から国内外で爆発的な反響を呼んだ。フランスでは2021年10月のコミックス刊行にあたり、プロモーションの一環としてパリのフランス国立図書館の窓を最上階から13階分ジャックし、初版25万部という破格のスタート。なぜ映像化もされていない作品の初巻にここまでの施策が行われたのか。その背景を『怪獣8号』フランス版を刊行するKazé Franceの担当者・ジェローム・マンソー部長、ピエール・ヴァルス編集長と同作を担当する「少年ジャンプ+」編集部・中路靖二郎副編集長、集英社ライツ事業部海外事業課・小野房優人副課長に訊いた。
フランスのマンガ市場拡大と競争激化を受けての斬新な大型企画
① コロナ禍でインドア娯楽の需要が高まるなか、フランス政府が2021年5月から若者に配付した300ユーロ(約4万円)の「カルチャーパス」(pass Culture)の7割がマンガに使われたこと
② Netflixやクランチロールなどの動画配信サービスが普及したことでアニメがより身近なものとなり、原作コミックへの関心が高まったこと
③ 『DRAGON BALL』や『ONE PIECE』を読んで育った世代が親になり、従来若者が読むものだった日本のマンガの年齢層が上下に広がってきたこと
フランス国内では、日本のマンガを翻訳する会社間の競争が激化するなど、かつてないほどマンガ市場が好況だ。だからこそ、『怪獣8号』は図書館ジャック以外にも様々な宣伝施策を行っている。

パリの駅ナカで展開された『怪獣8号』のデジタル広告(写真提供/Kazé France)
パリの駅ナカのデジタルスクリーンに1巻のイラストを使った広告を掲示。マーベル映画の上映前に公式のマンガトレーラーを流す。泡が出る銃と『怪獣8号』のイラストを使った的、防護服や怪獣8号のお面などを詰め込んだ「プレスキット」をインフルエンサーに配布。プレスキットを開封する動画をSNSに投稿してもらう……などまるで映画のプロモーションで行うようなレベルの施策を連発し、注目を集めることを狙った。
――しかし、なぜ『怪獣8号』だったのか。
トラフィックが追える時代に、あえて数字よりも感性を信じる
『怪獣8号』は日本では4巻発売時点(現在、6巻まで発売中)でコミックスの売上が「少年ジャンプ+」史上最速400万部を突破するなど、数々の記録を打ち立ててきた。
また、集英社は2019年1月から海外向けに「少年ジャンプ」「少年ジャンプ+」などの作品を多言語でサイマル配信する「MANGA Plus by SHUEISHA」(以下、「MANGA Plus」)というサービスを提供しているため、フランスでどのくらい閲覧されているのかを知ることも可能だった。
これらの国内外のアプリでの閲覧数やコミックスの部数を見て判断した――のかと思いきや、なんとそうではないという。
「『怪獣8号』の1巻が出る以前には、『MANGA Plus』では英語版しか配信されていなかったし、われわれは『MANGA Plus』上での反響を把握していたわけでもない。『怪獣8号』が絶対にヒットすると思った最大の理由は、“作品の質”だ。弊社の全員が『この作品はすごい。フランス市場にマッチする』と思ったから多額の投資を決めたのだ」(Kazé France・ヴァルス編集長)
Kazé Franceのマンソー部長は「数字より感性を信じる。フランス人らしいでしょう」と言って笑う。だが作品の力を信じて賭ける姿勢に、筆者はジャンプマンガらしさを感じる。

第1巻からフランス人の心をわしづかみにした(写真提供/Kazé France@lenaperdrige)
「『MANGA Plus』の立ち上げ以降、海外から翻訳のオファーが今まで以上に来やすくなった印象はありますね」(集英社ライツ事業部海外事業課・小野房副課長)
各国の出版社は熱意をもって作品選定を行っているが、スタッフ全員が日本語を読めるというわけではない。しかし、「MANGA Plus」立ち上げ以降は連載1話目の時点から、英語や各国語で現地出版社の皆が実際にマンガを読むことができるようになり、彼らが“作品の質”を確信する助けになっていると考えている。
ユニバーサルデザイン志向が、結果として海外にも届くことにつながった
ところで、Kazé France社が「絶対ヒットする」と思った「作品の質」とは具体的にはどんな部分を指すのか。
「この作品はハリウッド映画のブロックバスター作品に通じるところがある。ユーモア、アクション、そしてオリジナリティに富んでいて、人物描写がすばらしい」(ヴァルス編集長)
「『ジャンプ』にはアクションやラブコメなど様々なジャンルの作品があり、読者層は多様です。しかし『怪獣8号』については年齢や男女を問わず、フランスのマンガ読者のすべてのカテゴリーの人が読んでいます」(マンソー部長)
そして、『怪獣8号』は元々こういう反応を狙って作られていた。
「『怪獣8号』の世界に登場する日本防衛隊が身に付けるスーツは各々の適性を引き出すもので、性別や年齢的な強者がそのままの強さになるものではありません。誰もがその人の持つ能力で活躍できる世界観を描いています。
それ以外にも、老若男女問わず多様な読者層に受け入れられるようなユニバーサルデザインを志向してきました。“少年マンガ”ではあるけれども、少年だけに向けているのではなく、あらゆる読者層が楽しめるエンタメを作るという意識でいます。
それから『怪獣8号』はSFと評されることが多いんですが、僕や松本先生はSFとは思っていません。SF作品であれば求められる、読者が理解しないといけない設定というハードルをなるべく減らしているんです。『僕らが生きている日常に怪獣がいたら』と想像するだけで入っていける、間口の広さを意識しています。そういうことが結果として海外でも通用する表現につながったのかな、と思います」(「少年ジャンプ+」編集部・中路副編集長)
とはいえ中路副編集長は、32歳の青年カフカを主人公とする「夢破れた大人の話」に対してここまでの反響があるとは、連載が始まる以前には想像していなかったという。
32歳の主人公だからこそ共感できること
「正確に言うと、『夢破れた大人の話』だと思っていたのは僕だけでした。松本先生は、32歳はまだ夢を諦めるような年齢じゃないし、やり直しができる世代だと捉えていたんですね。おそらく同じように感じている読者もたくさんいたのだと思います」(中路副編集長)
主人公の年齢設定が他の作品と比べて若くない点をKazé Franceの担当者はどう捉えているのか。
「32歳はとても若い。カフカが“おじさん”?(笑) まったくそうは思わないですね」(マンソー部長)
「『32歳の主人公』はフランスでは『新しい』と感じられている。抵抗はなかったよ」(ヴァルス編集長)
日本では大学入学の年齢が18、9歳に集中し、22、3歳での新卒一括採用が一般的だ。だが、働いてから大学や大学院に行ってキャリアアップをしたり転職したりすることが当たり前である海外のほうが、作家とより近い感覚で『怪獣8号』の設定を受け止めているのかもしれない。
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つまりこういうことだ。
『怪獣8号』は、年齢や性別を問わず広く受け入れられるエンタメを意図して作られた。
日本と同時に世界各国に多言語配信する「MANGA Plus」を通じて、海外の翻訳出版社はマンガの中身を読むこと、その国・地域での反響(数字)を知ることができたことで、意思決定はかつてよりも早く、容易にできるようになっていた。
こうした状況の中で、作品を読んだKazé Franceの担当者はすぐに作品を買い付けた。
そして、今まさにさまざまな世代、多様な嗜好を持つ層に拡大しているフランスマンガ市場の読者を総ざらいできるブロックバスター・タイトルだと判断し、大型プロモーションを実施した。
結果、『怪獣8号』はフランス版コミックス第1巻の初週売上が史上No.1になり、刊行後6か月の累計発行部数でも歴代トップの作品となった。
2022年3月にはイタリアでコミックスが発売され、併せて地下鉄構内での大規模なプロモーションが行われた。『怪獣8号』は、まだまだ世界に広がっていく。
取材・文/飯田一史
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