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コンビ結成のきっかけとなった芸人

“キングオブコント事件”の後、いぬはM-1でもキスネタを披露していた「“禁じ手”と言われるまでやりますよ」_1
いぬ。吉本東京所属。2009年結成。ネタ作り担当の有馬徹(左)と太田隆司(右)はともに宮崎県出身で、高校時代はラグビー部の同級生。
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——キングオブコントのファイナリストになったことで、その後、環境に変化はありましたか。

有馬 僕らの中では、めちゃくちゃありましたね。テレビのネタ番組に呼ばれたり、あと、ルミネ(新宿・ルミネtheよしもと)の本公演に立たせてもらったり。

——今、ルミネの舞台に立つのは、かなりハードル高いですもんね。

有馬 若手が出るのはなかなか。

太田 東京吉本の若手は基本、渋谷の「ヨシモト∞(無限大)ホール」なんで。たまにルミネに出られるんですけど、夜の、本公演とは別の公演がほとんどなので。ルミネの本公演というのは滅多に出られないんです。

——土日の本公演ともなると、ほとんどのメンバーがM-1かキングオブコントのファイナリストで、錚々たる顔ぶれになりますもんね。

有馬 同じ香盤(出演者の出番時間が書かれた表)に中川家さんとかの名前があるのが本当に嬉しくて。

太田 僕ら6、7年ぐらい前にルミネの前説を1年間で100ステージぐらいやらせてもらったことがあるんです。それでやっと、幕の前じゃなく、幕の後ろでネタができて。それこそジャルジャルさんが袖にいて、見てくれているのとかも感じつつ。

太田 福徳(秀介)さんの笑い声とかが聞こえてくるんですよ。

有馬 あれはちょっとしびれましたね。

——2人がコンビを結成したのは、ジャルジャルが一つのきっかけになっているんですよね。

太田 僕らは宮崎出身なんですけど、高校が一緒で。2人ともラグビー部で、そのときから、高校卒業したら一緒にお笑いをやろうと言っていたんです。でも有馬の両親が大学だけは行って欲しい、と。

有馬 それで僕は鹿児島の大学に入って、太田は一浪して京都の大学へ行ったんです。でも途中で、大学4年間は長いな、と。

太田 有馬と電話で話しているときに、僕が関西でめっちゃおもしろい人を見つけたぞって言って、そうしたら有馬も俺も見つけた、と。それが2人ともジャルジャルさんだった。そこで話が盛り上がって、勢いで大学を辞めて、東京NSCに行こうということになったんです。僕が2年生で、有馬が3年生のときでしたね。