
【漫画あり】「とにかく自分が続きを早く読みたかった」読者が担当編集者に…19歳の春、家賃2万円の四畳半から始まった「たま」結成への道
『さよなら人類』の大ヒットでその名を世に知らしめたバンド「たま」のパーカッション、石川浩司さんが原作の漫画『「たま」という船に乗っていた さよなら人類編』(双葉社)が「このマンガがすごい! 2023」にランクインした。一目見たら忘れられない石川さんに、楽しい昔ばなしと現在をお聞きした。(前編)
「たま」という船に乗っていた#1
「このマンガがすごい!2023」にまさかのランクイン!

1989年から90年にかけて放送されていたテレビ番組「三宅裕司のいかすバンド天国」に彗星のようにあらわれ、『さよなら人類』の大ヒットでその名を世に知らしめたバンド「たま」。
その結成から解散までの舞台裏を元メンバーの石川浩司氏が書き綴った書籍『「たま」という船に乗っていた』を漫画家・原田高夕己氏がコミカライズした作品が、「このマンガがすごい!2023(宝島社)」にもランクインするなど、今再び注目を集めている。
筆者は小学生時代にテレビCMで『さよなら人類』を耳にして、生まれて初めてCDを買いに行き、以来、「たま」の解散後も元メンバーのソロ活動を追っている大ファンである。1984年に活動をスタートしてからもうすぐ40年になろうという「たま」は、しかし、未だに色あせず、他のどの音楽とも似ていない独自の魅力を放ち続けている。
今回、『「たま」という船に乗っていた さよなら人類編』の刊行記念の意味も含め、石川浩司さんにインタビュー、「たま」についての思い出や、漫画化の経緯についてたっぷりお話を伺ってきた。
職権濫用で好きな漫画の担当編集に…

――石川さんが原作を出版されたのは2004年とのことですが、それが今になって漫画化されたのはなぜだったのでしょうか。
原田(高夕己)さんとは別に、一度漫画化の話が持ち上がったんです。でもそのためのクラウドファンディングが成り立たなくて。それがうまくいかなかったという話を原田さんが知って「僕も実は漫画にしたかったんです。自分のTwitterで描いていくという方向でやってもいいですか?」って連絡をくれて。
それでTwitterに漫画を上げてたらそれを漫画家の小骨トモさんが見て、小骨さんは「たま」ファンで原田さんともお知り合いだったんで、双葉社の編集者・平田さん(webアクション編集部)を紹介してくれて、みたいな感じだったんです
――なるほど。うまくいかなかったクラウドファンディングがあったことでつながっていった話だったんですね。
そうですね。
――原田さんが連載を開始してからは、毎回石川さんと原田さんとの間でやり取りをしながら進めていったんですか?
そうです。ドキュメントなので、間違いがあると元メンバーからクレームがくる場合もあるから(笑)。
そこは思い出せる限り思い出したり、資料を色々漁って。
――平田さん(『取材に同席した「たま」という船に乗っていた』担当編集)も「たま」ファンなんですか?
平田さん もうドンピシャです。「しおしお」(1989年)の頃からで。今回の漫画のことは(漫画家の)小骨トモさんに教わってTwitterで7話目か8話目から読んでいて、毎月の更新をすごく楽しみにしていたんです。「1か月長いな、早く続きが読みたいな」思っていて、「うちで連載してもらえば早く読めるな」って(笑)
――それで声をかけたと。すごい!
平田さん 原田さんが「こういうのってTwitterでバズってないとダメって聞いたんですけど大丈夫ですか?」って心配してて(笑)。それが一昨年(2020年)で、そこからはとんとん拍子でしたね。
とにかく自分が続きを早く読みたかったという。
つげ義春好きにはたまらないオマージュ

――いい方向の職権乱用ですね(笑)
でもね、そういう編集者だから、愛があるというか、ビジネスだけじゃないところがあって。
――幸運な出会いだったんですね。作品の中の随所に小ネタが散りばめられていますよね? つげ義春っぽいコマがあったりとか。
そこは原田さんが結構やってくれました。そもそも僕がつげ義春が好きなのを知って原田さんも好きになったらしくて。
――帯にもありましたけど、原田さんは「たま」の大ファンなんですもんね。「一日も欠かさず、たまのことを考え続けている」って書いてあります。
僕らでもそんなに考えてないのにね(笑)。中学生の時にファンになってそれからずっとみたいで。
――原田さんの画力もあって、すごくコミカルに「たま」結成に至るまでの経緯が描かれていますね。
もともと4人で一緒にバンドを組もうという気はまったくなくて、全員ソロでやっていたんですけど、ソロでアングラ色が強いことをやっているような人は当時あんまりいなかったから、ライブハウスで会って友達になって。
僕が「地下生活者の夜」というライブイベントを毎月一回、定例でやっていて、知り合いのアングラミュージシャンが20人くらいいたんです。基本みんな弾き語りで。でもだんだんマンネリ化してきちゃうんで「じゃあ一回バンドごっこをやってみよう」ってやってみたら、結構評判がよかったんで、そのまま続いていったんですね。
19歳と16歳の出会い
――滝本晃司さんがベースを担当することになったのも「ベースを入れたい」という柳原陽一郎さんのリクエストに応じてのことだったと描かれてますよね。
そうそう。
――4人組として「たま」の形が完成したわけですけど、石川さん以外の3人のメンバーそれぞれについて、どんな印象を持たれていますか?
知久(寿焼)くんは最初に会った時、まだ高校生だったんです。僕が19歳で、彼が16歳で。とにかく今よりもジジくさくって、髪の毛も肩まであるし、ひげも伸ばし放題だし、今は割と高い声で歌うパターンが多いですけど、当時は声も低音で、どフォークっていう感じで。
――知久さんの低音ボーカルは想像できないです。
最初から歌もうまかったし、ギターもうまかったんです。おじさんがギターの流しをやっていたらしくて、そこで手ほどきをうけたのか、相当テクニックがあって、高校生とは思えないほどずば抜けてましたね。
性格はきちんとし過ぎていて、それがバンドをまとめる時にいい方向にも行ったし、音の細かいところをまとめてくれたのも知久くんだったりするから、一番若いけど、実質的にはリーダーだったのかなっていうのはありますね。
「たま」は特にリーダーっていうのははっきり決めてなかったんですけど。

――そうなんですね。
他のメンバー全員にも言えるんですけど、僕は詞で面白い情景を浮かばせるような人が好きで、滝本もそういう感じで。でも、僕や知久くんや柳原は明らかに変な情景を想像して歌うんですけど、滝本は日常の中に非日常的な落とし穴があるみたいな、そういう瞬間を詞に書いてて、ちょっとタイプが違って「こいつの詞はすごいな、面白いな」と最初に会った時から思っていました。
4人の中でもズバ抜けたポップセンスの持ち主

――滝本さんの詞の世界とか曲調もまた独特ですよね。
彼は血液型がABなんですけど、まさにABの感じで、最初はきちんきちんと一つ一つ積み木を積み上げていくんですよ。それで「あと一歩で完成だ!」というところで急にA型からB型になって全部バーンって壊すっていう(笑)。
ちょっとハチャメチャなところがあって、一番読めない。他の3人は少し奇をてらってるところもあると思うんですけど、滝本はパッと見、全然奇をてらってる感じもなくて、本人もその意識はないと思うんですけど、一番変わり者だと思います。そこがすごく面白いです。
――柳原さんはどうでしょうか。
この漫画にも出てきますけど、柳原とはもともと麻雀友達から始まったんで、一緒に遊ぶ友達として非常に楽しくて、あとやっぱり『さよなら人類』も柳原の作品ですけど、ポップセンスが4人の中でずば抜けています。あと独特のフニャフニャしたところがあって、僕はそれが好きでしたね。
柳原と僕は血液型がB型なんですけど、二人とも適当なんで、自分が作った歌の歌詞が覚えられなくて、それで即興で歌を作っているうちに即興歌を作るのがうまくなっていって。「即興で曲が作れる」とか言ってたけど、本当は覚えられないからそうしてるだけで(笑)
――それこそ『さよなら人類』のボーカルのイメージもあって、最初は柳原さんがリーダー的な存在なのかと思っていました。でもそういうわけではないんですね。
彼は“モード野郎”と呼ばれていて、色々なモードがあるんですよ。二枚目モードの時、三枚目モードの時とか、色々あって、そのモードを見極めないといけない。二枚目モードの時に三枚目な話をするとムッとされるし、その逆もあって(笑)。
お尻でタバコを吸いながら、「もう僕はだめなのだ」

――どのモードかがその時で違うんですね。面白い。
どこかのホールでライブがあって、いまいちうまくいかなかったんです。そしたら楽屋に戻ったら柳原がいきなり化粧を始めて、ライブ終わったのにですよ?「何してんの?」って言ったらバカボンのパパのメイクをして、お尻でタバコを吸いながら、「もう僕はだめなのだ」って言ってて(笑)。そういう、くだらない三枚目モードの時もあれば、キリっとした二枚目モードできちんとやるんだっていう時もあって、それも面白かったです。
――柳原さんは最初に「たま」を脱退して、少し他のお二人とは距離がある感じがするんですけど、石川さんはSNSなどで今も柳原さんについて言及している時がありますよね。交流はあるんですか?
直接の交流はそんなにないんですけど、2年ぐらい前に一度、下北沢で会いましたね。別のライブハウスでお互いライブやってて、「あ、近くでライブやってんだ」っていうので、楽屋に行ってちょっと雑談して。今回のこの漫画が出るっていうので本人にも許諾とかの連絡を取る機会があったし、あとは友達のミュージシャンが亡くなったりして「今度お別れ会があるんだよ」ってメールしたり、事務的ではありますけど、してますね。
――柳原さんも含め、元メンバーのみなさんは今回の漫画化についてなんておっしゃってるんですか?
何も言ってないです(笑)。もともとね、3人ともね、何かについて感想を言うっていうことがない人なんですよ。こっちがよっぽど強く聞けば答えてくれるかもしれないけど、何もなければ向こうは「あ、漫画、ありがとね」ぐらいしかない。でも何か「ここ間違ってるよ!」っていうのがあれば絶対、知久くんとかクレームつけてくるタイプなんで(笑)。
「あそこはそうじゃなかったよ。石川さん記憶違うよ!」とか言うタイプなんで、そう言ってこないってことは、好意的に受け止められてるのかな。
『このマンガがすごい! 2023』にランクインの注目漫画!
「物語は19歳の春から始まった…」漫画を読む(すべての画像を見るをクリック)

©石川浩司・原田高夕己/双葉社2021
取材・文/スズキナオ 撮影/南阿沙美
『「たま」という船に乗っていた さよなら人類編』(双葉社)
原作:石川浩司 漫画:原田高夕己

2022年7月21日
1430円(税込)
単行本(ソフトカバー) 256ページ
978-4-575-31715-2
関連記事

【漫画あり】紅白出場から32年、今も再結成が望まれる「たま」。元メンバー石川浩司は「もともと商業的に売れると思ってやったバンドじゃないんで…」。漫画も話題に
「たま」という船に乗っていた#2


「家族をバンドや劇団に置き換える」マキタスポーツに聞く“老害おじさん”にならないための処世術

時を超えて聴き継がれ、海を越えて歌い継がれる名曲『リンダ リンダ』のすごさとは

新着記事
自衛隊が抱える病いをえぐり出した…防衛大現役教授による実名告発を軍事史研究者・大木毅が読む。「防大と諸幹部学校の現状改善は急務だが、自衛隊の存在意義と規範の確定がなければ、問題の根絶は期待できない」
防衛大論考――私はこう読んだ#2
世界一リッチな女性警察官・麗子の誕生の秘密
「わかってる! 今だけだから! フィリピンにお金送るのも!」毎月20万以上を祖国に送金するフィリピンパブ嬢と結婚して痛感する「出稼ぎに頼る国家体質」
『フィリピンパブ嬢の経済学』#1
「働かなくても暮らせるくらいで稼いだのに、全部家族が使ってしまった」祖国への送金を誇りに思っていたフィリピンパブ嬢が直面した家族崩壊
『フィリピンパブ嬢の経済学』#2