プリンティングディレクター(PD)とは、作家やブックデザイナーがイメージした発色の印刷を実現する、現場の指揮官。インキや紙、製版などの専門的な知識を駆使し“イイ感じ”に仕上げてくれるブレインだ。『THEくらもちふさこ』のPD・栗原哲朗さんは、集英社に原画が届いた直後から最適な印刷方法を模索していたそう。
打ち合わせでは、ニコニコしながらほとんど声を発さない寡黙なタイプの栗原さんだが、名久井さんとは、専門用語や具体的な数値で何やら熱心に論議を重ねている。編集部のメンバーが「かわいくしたい」「ページをめくったらパ―ッと気持ちが明るくなるような」などと身ぶり手ぶりで話している間に、4組のインキセットによるテスト印刷の段取りが決まっていた。

「地味にスゴイ!? シンプルリッチでカラフルな仕様」〜デビュー50周年記念画集『THEくらもちふさこ』こだわりのすべて その1
「生原画の感動を、数分の一でも書籍で再現したい」――本画集のブックデザインを手がけた名久井直子さんとくらもちふさこ先生の対談に先駆け、まずは本書のこだわりたっぷりの仕様決定までの流れをご紹介。名久井さんも絶大な信頼を寄せる図書印刷株式会社のプリンティングディレクター・栗原さん、営業担当の杉山さんからもお話をうかがった。
愛蔵版コミックスTHE くらもちふさこ デビュー50周年記念画集
著者:くらもち ふさこ

2022年1月25日発売
3,960円(税込)
B5判変型/160ページ
978-4-08-792082-6
非凡で等身大で表現者で少女。
瑞々しいときめきやこころの揺らぎを描いて少女まんがの地平を拓いてきたくらもちふさこ。その半世紀にわたる燦たる画業──
美麗イラスト500点以上を掲載! くらもち作品の鮮やかな色彩を再現すべく、特別なインクをセレクトして印刷しました。かつて少女だったあなたへ、そして今も少女のこころを持つあなたへの一冊です。 集英社
https://www.s-manga.net/items/contents.html?isbn=978-4-08-792082-6
原画集制作の要・プリンティングディレクターに注目

打合せ中の名久井さんと栗原さん。二人にしかわからないやりとりが続く(撮影:ハナダミチコ)
栗原:何十年も経つ原画もありましたが、色褪せずとても綺麗な色彩のままでした。先生の筆のタッチや色づかいが本当に美しく、今見ても新しい表現やデザインに感動しました。しかし同時に「通常のプロセスインキではとても再現できないな」とも思いました。特に蛍光系のピンク・グリーン・オレンジなどが多用されているので、C・KP版を異なる組み合わせで試してみたいと考えたのです。

↑『スターライト』原画。70年代に描かれたとは思えないほど、原画の黄や緑の蛍光は色褪せていない(撮影:ハナダミチコ)©くらもちふさこ/集英社
文系の印象が強い出版業界だが、印刷は化学・工業の理系分野。仕上がりのイメージを具体的に指示できるデザイナーと、印刷現場の機材や資材に合わせ、運用ベースに変換できるプリンティングディレクターを両軸に、作家側/印刷側の窓口役として奔走する編集担当、営業担当がコミュニケーションをとりながら制作業務が進行する。プロジェクト全体をスムーズに進めるために大切なのは、ゴールに対する共通認識だ。
800点超の原画をレタッチ&合成&管理する
編集部サイドのふわっとした意向を現場に伝え、すべての理不尽を引き受けるのが、印刷会社の営業担当だ。図書印刷の杉山さんは深い漫画愛に加え、的確な進行管理&豊富な印刷知識で、プロジェクト全体を支え続けた。
杉山:原画は1枚ずつ取扱厳重注意で作業を進める必要があるのですが、なにしろ850点以上! 編集部さんとの間を台車で何度も往復しました(笑)。色校では、細部にわたり赤字でご指示があり、原画と見比べながら色の方向性を探ったり、どのように修正を進めるか現場と打合せを重ねました。最後の最後、デザイナーさんと編集さんに工場へ印刷立会いに来ていただき、ご確認OKをいただいた時には本当にホッとしました!

名久井さん直筆猫付箋、原画の原稿用紙の淡いクリーム色は飛ばし、画集の用紙の色を活かしたい、という要望だ。逆に原稿用紙のクリーム色を活かす指定もある(撮影:ハナダミチコ)
デビュー直後の原画は画用紙に小さく描かれたものだが、時代を経るとキャンソンボードなどに描かれた巨大で重い原画も登場。スキャンでは品質がばらけてしまうので、全点撮影し、特殊なインキセットに合わせ、Photoshopで1点ずつチャンネルを分けて分解。合わせて、本格的なデザイン作業がはじまるまえに、原画の修復も進行させておく必要がある。
栗原:経年劣化してしまった原画を再生するのに苦労しました…。用紙が茶色く古びてしまった部分や、カラートーンの浮き・割れなどの修正は特殊な画稿処理が必要で、想定より作業時間がかなりかかってしまいましたね。

左が修正前、右が修正後の画稿。ネコと反対側の目元からあご付近まで褐変し、ほおの紅色が退色していたが、修復後は「ほおが健康的」な加南に ©くらもちふさこ/集英社
真夏の炎天下、チーム文系が原画を担いで右往左往している間に、テスト印刷は順調に進行。校正確認の日がやってきたころには、秋の気配が漂っていた。
「4+特1色印刷」と言い張るにはどうか…なインキセット

©くらもちふさこ/集英社
テスト印刷では、Y(イエロー)版は蛍光インキを加え、M(マゼンタ)版とK(ブラック)版は固定。C(シアン)版を2種、KP(蛍光ピンク)版を2種、計4パターンのインキセットで刷ってみた。組みあわせによって「肌が自然だが青空が…」「空は澄むが肌の調子が出ない」と言った差が生じるため、すべての絵に100点満点の組み合わせは無い。800点超の原画の特徴から、総合的に先生の絵の良さを表現しやすいのはどれか? という観点で討議を重ね「写真右上」のセットに決定した。

蛍光ピンクのインキは、株式会社T&KTOKAの「TOKA FLASH VIVA DX」を採用。本書ではカバー・オビ・本表紙にもVIVAを使用している。このピンクが、くらもち先生が多用するビビッドなピンクの再現に適していたのだ。

左がVIVA、右が他のインキでの校正刷り。カラーチップの色はほぼ同じだが、左は洋服の柄のメリハリが効き、右は肌のグラデがなめらかになじむ、などそれぞれの良さがある ©くらもちふさこ/集英社
通常のグラビア雑誌ではCMYKのプロセス4色、カバーなどでは特別に蛍光色を加えた4+特色1の5版が使われることが多いのだが、この画集は本文160pすべてが5色刷り。しかも今回は、PD栗原×BD名久井コンビが選出した「トテモアザヤカナ5ショク」である。ページを開くとパッと目にとびこんでくるような色彩は、くらもち先生も大満足。ただしこれは、「これは、4+特1色ではなく、特3色! しかもVIVAまで入れて…!!」と予算担当からは叱られ、出版関係者からは「よく許してもらえたね(羨)」と言われる5色なので、ご利用は計画的に……。
栗原:黄色のインクは、絵柄に適した蛍光イエローと通常イエローを半々で混ぜています。蛍光イエロー100%だと、期待した濃度感が出ないためです。
仕様=豪華さだけではなく、愛情や表現の一環
『THEくらもちふさこ』は、インキだけでなく、用紙や製本方法もこだわりがいっぱいだ。
●表紙・ アスカα LT20㎏【大和板紙株式会社】
見返・ポルカレイド フラミンゴ 四六Y90kg【平和紙業】
本文・b7トラネクスト BT83kg【日本製紙】
カバー・オーロラコート 菊T76.5kg【日本製紙】(グロスPP貼+金箔押し)
オビ ・アラベール スノーホワイト 菊T62.5kg【王子エフテックス】
●製本PUR無線綴じ広開本(オープンバック)

上:見返し 右上:本表紙 下段:広開本でノドで絵が切れない見開きページ
本文のボール紙には『東京のカサノバ』から情熱的なセリフを刷り、見返しは名久井さんご自身がプロデュースした紙、本文用紙はくらもち先生のお父様がかつて勤務され、東日本大震災にも負けなかった石巻工場で作成された用紙を使用。さりげなく「大切なもの」で包みこむ演出は、『チープスリル』や『花に染む』の間接キスのよう。名久井さんがブックデザインに込めた想いとくらもち先生の感想は、次回のレポートでたっぷりお届けしたい。

↑左:『花に染む』1巻/右:『チープスリル』3巻の物による間接キス ©くらもちふさこ/集英社
――最後に図書印刷株式会社のお2人からのメッセージを
「くらもちふさこ先生には、作業前から直接『期待のお言葉』をいただけて嬉しかったです! とてもやりがいのある仕事で、完成した時には達成感を感じました。どうもありがとうございます。そして、画集を買ってくださったみなさま。 ファンの方々に納得していただけるよう、一生懸命頑張りました。ぜひとも2冊購入されて、1冊は鑑賞用に・1冊は保存していただけましたら幸いです」
図書印刷株式会社・ PD栗原哲朗 担当・杉山律子(敬称略)
※PDのお仕事を知りたい方は、図書印刷公式HP「図書印刷のものづくり」をチェック!!
https://www.tosho.co.jp/make/takumi
※VIVAが気になったあなたは、印刷界のアイドル名久井直子が行く「印刷・紙もの、工場見学記」(グラフィック社)をチェック!
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784766135459
デビュー50周年記念くらもちふさこ展―デビュー作から「いつもポケットにショパン」「天然コケッコー」「花に染む」まで―
<開催地>弥生美術館
<開催期間>2022年1月29日(土)〜2022年5月29日(日)
<リンク> https://www.yayoi-yumeji-museum.jp/yayoi/exhibition/now.html

©くらもちふさこ/集英社
「デビュー50周年記念画集『THEくらもちふさこ』こだわりのすべて その2」からは、
くらもちふさこ先生とブックデザイナー・名久井直子さんの対談を3回にわたって公開予定です。
楽しみにお待ちください!
取材・文 ハナダミチコ
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