5,000万円を持ち逃げされたことも! あのメイウェザーも立ち寄った銀座のジュエラー。マイク・カワグチ氏の叩き上げ半生_01
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従来の高級時計店や宝飾店とは一味違う、
ポップでカジュアルなTRAX TOKYO

東京・中央区銀座。日本有数のショッピングエリアとして、老舗百貨店やラグジュアリーブランドショップがひしめくこの街の一角に、TRAX TOKYOはある。

扱う腕時計は、リシャール・ミル、オーディマ ピゲ、ロレックス、パテック フィリップ、ハリー・ウィンストン、フランクミュラー、ウブロなどなど。誰もが憧れを抱く、世界に名だたる高級ブランドウォッチばかりだ。

しかもTRAX TOKYOは、表面にダイヤモンドやサファイア、ルビー、エメラルド等の宝石を多数セットした、超高級なジュエリーウォッチの売買を得意としている。日本だけではなく世界のセレブを相手に、一点数百万円から数千万円、中には一億に届くような腕時計を、日々取り引きしているのだ。

当然、顧客はミリオネアやビリオネアだらけに違いないが、この店の最大の特色は、高級時計店や宝飾店のように格式ばってはいないところ。店構えや内装は、スケーターやBボーイが出入りするストリートブランドのショップのようにポップでラフな雰囲気だ。億単位のビジネスを手がけるオーナーのマイクこと川口秀樹(Hideki“MIKE”Kawaguchi)さんの風体も、従来の“ジュエラー”という言葉からイメージされるものとは大きく違い、至ってカジュアル。

TRAX TOKYOとは、一体どんな店?
マイクさんとは何者で、どういう経緯でジュエラーに? 尽きぬ疑問の答えを求め、マイクさんに根掘り葉掘りと聞いてみることにした。

日本×エルサルバドルのハーフでイラク生まれ、
サウジアラビア&マレーシア育ち

――マイクさんは1979年生まれの43歳ということですが、ご出身はどちらですか?

生まれたのはイラクのバグダッドです。古河電工に勤めていた日本人の父が、赴任先のイラクでエルサルバドル出身の母と知り合い、僕が生まれたんです。

――なるほど、生まれながらにして国際的ですね。

3歳ぐらいまでイラクにいて、そのあとは1991年の湾岸戦争がはじまる前日までずっとサウジアラビアで暮らしていました。その次はマレーシア。現地の日本人学校の中学を卒業し、バスケをやっていたんで、強豪校の東海大学附属札幌高校に入り、そのまま東海大学に進学。そして2001年、大学4年生の時に渡米しました。アメリカで仕事がしたかったんです。

――アメリカのどこに行ったんですか?

ロサンゼルスです。最初はメルローズのアトミックガレージという古着屋でアルバイトをしました。時給6ドルくらいだったので、生活は苦しかったですね。

――そんな時代もあったんですね。

でもアメリカで自分のお店をやりたいという気持ちをずっと持っていました。現地で日本人向け情報誌を作っている雑誌社の社長に、ダメ元で「日本人で、出資してくれそうなお金持ちの方はいませんか」って相談したら、「すごい人がいますよ」と。ホテルとかいろんな物件を持っている人を紹介してくれたんです。

――へええ。

その人と話をしたら、「面白いからお店を一軒やってみな」ということになり、2003年に「フェイズ」という名前の店を始めることができました。商売の右も左もわからなかったので見よう見まねでやってみたら、結構若い子たちが集まってくるようになりました。DJブースがあったり、 スポーツ観戦ができたり、ご飯も食べられたりという店にしたんですけど、面白いことにヒットしたんですね。

――「フェイズ」ではどんなものを売っていたんですか?

ヒップホップやR&Bなどブラックミュージックが好きなので、彼らの好むアメリカンジュエリーや洋服を売ったり、車のパーツを扱ったり。
そしてある時点で店は畳み、車のパーツの貿易に切り替えたんですけど、ちょうどリーマンショックの時期と重なって、会社が立ちいかなくなりました。若くて経験も浅かったんで、うまく乗り切れなかったんです。

――とんとん拍子と思いきや、ご苦労もされているんですね。

それで、スローソンという治安があまり良くない地域でアメリカンジュエリーを仕入れ、イーベイやヤフオクで売りはじめました。すると意外に売れることがわかり、アウトレットに行ってコーチなどのブランド品を70%とか80%オフで買ってきては、やっぱりオークションサイトで売りました。そして徐々に、扱う商品を時計にシフトしていったんです。