しっくりくる肩書がない、人生が楽しくなる「週5日制」、愛情でできた悪魔・東野幸治さんのこと、人生最後の通信簿……等々、ほとんどの人が「どうでもいい」で片づける“重箱の隅”に宇宙を感じる男・ふかわさんのエッセイは非凡でニッチ。

でも読みすすめるごとに既視感を覚え、共鳴し、気づけば“重箱の隅”が気になってしょうがない(笑)。その発想やこだわりはどこから生まれるのか。そしてタイトル「ひとりで生きると決めたんだ」に込められた真意を語ってもらった。

ひとりで生きるって言っても実際は生きられない。

–––––タイトル「ひとりで生きると決めたんだ」に、羊がただ一匹、佇む表紙。思わず引き込まれてしまいました。見た瞬間、ふかわさんの叫びが聞こえてくるようでした。

もう、すべてがこの表紙に集約されているので本編はおまけです。本編は1ページ目から始まる“あとがき”みたいなものなので読まなくてもいいぐらい(笑)。

ただ、タイトルやカバーありきで文章を綴ったわけではなく本編があるからこのような表紙が生まれたわけで。ラテアートみたいなものです。

これまでの人生で知らず知らずのうちに溜まっていた心の中の澱みのようなものをお湯で溶いて提供するっていうのが僕の(執筆の)基本スタイルで、全部並べて浮き上がってきたものがタイトルになったりするんです。

「ずっと、ぬかるんでいたい」48歳のふかわりょう、五十にして天命を知る?_1
新潮社より、2022年11月17日発売
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––––なぜ表紙を羊に?

以前、アイスランドに行ったときたくさんの羊を見たんですが、どこか儚く悲しげなんです。その表情が僕の心情にすごく合っていて、そんな羊と重ねることでタイトルの言葉は決して強さや自信ではなく、むしろ弱さからくる言葉だって伝えたかった。

同時に、羊の耳には管理ナンバーがパチンとつけられいて結局、群れで生きる宿命というか。人間社会と似ているところがあって。

だから、羊は僕自身でもある。いくらひとりで生きるって言っても、実際は生きられない。でも、こういう言葉を口にする心情はもしかしたら誰かと共鳴するかもしれないって思ったんです。

––––「ひとりで生きると決めたんだ」は、強固なメッセージかと思っていました。厭世で「おひとりさま」を自負する覚悟や達観ではないんですね。

むしろ、強がりや弱音を含んでいて、なんならちょっと涙ぐんでる。その余韻や余白が「ひとりで生きる」で止めずに「ひとりで生きると決めたんだ」ってところに出ていて、そこは明確に喜怒哀楽を表現できるものじゃない。

僕は日常の中で気分の浮き沈みや変化が激しいので、このタイトルを掲げることで不安定に蠢く感情を支えているというか。この言葉によって情緒不安定な感情を支えているところがあるんです。

だからまだ迷っているし、足元がぬかるんでいる。でも、そういう心境だからこそ見える世界を大切にしたいって思いもあるんですよ。

–––つまり、落ち着かない心じゃないと見えない世界を大事にしたいと。

そうですね。ほとんどの人が気にしない“重箱の隅”に目を向けることによって、その世界が開かれるわけです。ただ、僕は誰も気にしないようなことを「重箱の隅」だと思っていない。むしろめちゃくちゃド真ん中に立ちはだかる大きな壁なので、避けて通れないんです。

確かに結びつける事象に多少の乖離がありますけど、みんながそれを「重箱の隅」って言うならそれでいいよって感じで。