シルヴェスター・スタローンと並ぶ肉体派俳優として数々のアクション映画に出演していたアーノルド・シュワルツェネッガーが、90年代に突入するとトップスターに君臨する。
アクション俳優としての現状に飽き足らず、新たな領域を積極的に開拓したことが効を奏したためで、『ツインズ』(1988)や『キンダガートン・コップ』(1990)などのコメディ映画で活躍の場を広げるばかりか、外タレとして日本のCMに積極的に出演。日清カップヌードルや武田アリナミンVでコミカルな姿を披露し、お茶の間の人気者となった。
ちなみに、“シュワちゃん”という愛称をつけたのは映画評論家の故・淀川長治氏だ。

シュワちゃんブームが日本を席巻。キアヌにジュリアにマコーレー・カルキンと百花繚乱!
マッチョ・ヒーローだったシュワルツェネッガーがCM出演で大人気に。ハリウッドは黄金期を迎え、今も活躍する大スターを次々に輩出していく。
ロードショー COVER TALK #1991
“シュワちゃん”がお茶の間を制す

妙に「寿」という文字の似合うシュワ氏である
©ロードショー1991年2月号/集英社
「ロードショー」は「いま日本一のガイジンだ 全力特集シュワルツェネッガー!!」(1990年12月号)という特集を組んだのち、1991年2月号でついに表紙に起用。
当時の一連のCMはYouTubeで視聴できるので、「やかん体操」や「だいじょうブイ!」といったキーワードで検索してもらいたい。
オーストリア出身でもともとボディビル・チャンピオンだった彼は、映画界に飛び込みスターの座を獲得し、ケネディ家出身のTVパーソナリティ、マリア・シュライバーと結婚して政界進出(2021年に離婚)、カリフォルニア州知事を務めている(2003~2011)。
まったく異なる3つの業界でトップを獲った人は、ほかにいるだろうか?
日本と相思相愛、キアヌ・リーヴス初登場
「ロードショー」はこの年にタイトルロゴを英語の「ROADSHOW」に変更。判型を横に広げた。見出しも「hey! Good Lookin’…」(1月号)「Twinkle Twinkle Big Star」(4月号)、「What’s Megan!?」(6月号)「Dance with Nonny!」(7月号)「King of Summer!」(8月号)「Check Inside!」(9月号)、「I’ll Be Back! 」(10月号)「A hero is born!」(11月号)「You’re my sunshine!」(12月号)と英語が使用されていて、よりスタイリッシュな路線を目指している。
そんな1991年公開映画の配給収入ランキングは、シュワルツェネッガーの『ターミネーター2』(1991)と『トータル・リコール』(1990)が1位と4位を獲得。2位『ホーム・アローン』(1990)のマコーレー・カルキン(8月号)、3位『プリティ・ウーマン』(1991)のジュリア・ロバーツ(9月号)、7位『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(1990)のケヴィン・コスナー(6月号)はそれぞれ初表紙を飾っている。
その後、さまざまなトラブルに遭ったマコーレー・カルキンはあいにくだが、ジュリア・ロバーツとケヴィン・コスナーはいまだにトップスターとして活躍している。

その名はハワイ語で“山から吹くそよ風”の意、このとき27歳のキアヌ
©ロードショー1991年11月号/集英社
初登場で最注目は、キアヌ・リーヴスだ。1991年といえば、キャスリン・ビグロー監督のアクション映画『ハートブルー』(1991)と、リヴァー・フェニックス共演の青春映画『マイ・プライベート・アイダホ』(同)という、両極端の2作が公開されている。
そんなキアヌを「ロードショー」は11月号の表紙に初起用。このときの写真は来日時のもので、おそらくキアヌにとって初めての日本である。彼はこの国をとても気に入り、今でも日本を訪れ、ひとりで電車に乗ったりラーメンを食べたりといった写真がキャッチされることもしばしば。この年から日本とキアヌとの長い蜜月が始まったのだ。
◆表紙リスト◆
1月号/トレイシー・リン 2月号/アーノルド・シュワルツェネッガー※初登場 3月号/アリッサ・ミラノ 4月号/ジュリア・ロバーツ※初登場 5月号/マイケル・J・フォックス 6月号/ケヴィン・コスナー※初登場 7月号/ウィノナ・ライダー 8月号/マコーレー・カルキン※初登場 9月号/ジュリア・ロバーツ 10月号/シャルロット・ゲンズブール 11月号/キアヌ・リーヴス※初登場 12月号/ジェニファー・コネリー
表紙クレジット:ロードショー1991年/集英社
ロードショー COVER TALK

編集長が暴露! ジョニー・デップの表紙が続いたのは部数低迷のせい? フィービー・ケイツ人気は日本だけ? 「ロードショー」でいちばん売れた号は?
ロードショー COVER TALK #最終回

【ついに休刊!】のべ142人が飾ってきた「ロードショー」の表紙。最終号は意外にも…? そして国内外の大スターたちから別れを惜しむ声が届く
ロードショーCOVER TALK #2009

【休刊まであと1号】生き残りをかけて、邦画とゴシップ中心に方向転換した「ロードショー」。しかし回復できないまま、2008年最後の号を迎える。その表紙を飾ったのは、意外にも…?
ロードショーCOVER TALK #2008

【休刊まであと2年】日本俳優初の単独表紙を飾ったのは、木村拓哉。邦画の隆盛とハリウッド映画の失速、新スターの不在など厳しい条件下で、「ロードショー」は“洋画雑誌”の看板を下ろす決意を!?
ロードショーCOVER TALK #2007

【休刊まであと3年】1年の半分の表紙を飾るというジョニー・デップ祭り! 一方、ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーのベビー・カバーはお見せできない…その理由は!?
ロードショーCOVER TALK #2006

女性の表紙は1年間で1回のみ! 女優主導だった「ロードショー」の歴史が完全にひっくり返ったのは、ハリウッドの体質の変容を反映していたから!?
ロードショーCOVER TALK #2005

世界のジョニー・デップはもともと、知る人ぞ知る個性派俳優だった!? 彼をスターダムに引き揚げた大物プロデューサーの秘策とは
ロードショーCOVER TALK #2004

『ハリポタ』人気にオーランド・ブルームの登場で盛り上がる洋画界。だが、日本映画の製作体制の劇的変化が、80年代から続いてきた“洋高邦低”を脅かし始める…
ロードショーCOVER TALK #2003
関連記事
新着記事
上野動物園とおさる電車

40歳サラリーマン、衝撃のリアル「初職の不遇さが、その後のキャリア人生や健康問題にまでに影響する」受け入れがたい無理ゲー社会の実情
『40歳で何者にもなれなかったぼくらはどう生きるか』#3

